2013年9月27日

親がいっぱいいっぱいにならないための社会的支援を、IFCO2013 大阪世界大会から考える

「社会的養護は家庭的代替養育」が世界的な流れ


園 長 とても天気が良くなりましたけど、随分朝晩冷え込んでますね。ばばばあちゃんが今日は来てくれてます。おはようございます。

古 家 おはようございます。

園 長 昨日などは、私ダウンジャケット着ました。随分寒くなりましたね。今ちょっと気温が高くなりましたけれども、秋はやっぱり寒暖の差が大きいですね。

さて先日、大阪で開かれた里親の世界大会にばばばあちゃんと一緒に参加してきました。そこではいろんな衝撃的なことに出会いましたね。

古 家 やはり世界は進んでいるんだなと思いました。

園 長 まず、あの国連の子どもの権利条約のワーキンググループでしたか? 代替養育っていう里親とかファミリーホームの部分を書いたワーキンググループの方の記念講演でしたね。

古 家 25カ国の方々が集まったんですけれども、世界に発信しようというそういう姿勢みたいなものが素晴らしいなと思いましたね。そういう姿勢というのが。

園 長 全世界で子どもを大事にしていこうっていう国連の意気込みが伝わってきましたね。貧困の問題とか病気とかAIDSとかいろんな子どもを救う問題がある中で、今回は虐待や何らかの事情で家族と一緒に住めない子の権利をどう守っていくのかっていうお話でしたね。

古 家 そうですね。

園 長 国連の考えとしては、できるだけ生みの親から離さない、不分離の原則っていうのがあって、そこで親御さんと子どもさんを応援していこうっていうのが第一原則ですよね。そういう中で子どもの権利を守る、権利擁護という視点がまたまた高かったんですけど、大人の判断ではなくて子どもの意思とか権利とかきちんと守っていくっていう。例えば虐待を受けてる子どもっていうのはそれが日常になっていて、何か発信したら大好きな親御さんと別れて暮らさないといけないっていうこともあるので、子ども側からは発信できない、どうしても子どもは自分の権利を守れない、弱い存在という部分もあるんですよね。

それを保護するというよりはその権利を守るっていうことで、まずは子どもの代弁者としての大人が、分離が必要な子は分離をして子どもの育つ権利を守る。そして、その分離先は大きい施設ではなくて家庭に近い家庭的代替養育できる場所だと。英語でいえば‘Family base’や‘Family  like’、里親さんはFamily baseで里親ファミリーホームはFamily likeになるかと思うんですけど、なるべく家庭に近い形での子どもの育ちを保障していこうっていうのははっきりと打ち出されていました。

古 家 そうですね。世界の流れでしたね。社会的責任としてね、個人の問題じゃなくてっていうところは、すごい励まされましたね。

園 長 意識高いですね、やはりね。

古 家 虐待を受けたら愛着障害になると。でも愛着障害になったことに対して、諦めないで安全で安心できる環境を作っていってあげるんだっていう、社会が責任持つというところでは本当に素晴らしいと思いましたね。


ソーシャルワーカーの輝き


園 長 特にそのなかでソーシャルワーカーが、ほとんど中心的な人物でしたね。

古 家 そうでしたね、なんかすごい明るい気持ちになりましたね、私は。

園 長 ソーシャルワーカーたちが世界中で子どもを守ってる。個人の判断じゃなくてチームの判断で。特にスウェーデンとかイギリスとかアメリカのソーシャルワーカーさんは気取ってないですよね。

古 家 そうなんですよね。

園 長 とにかく、なにがともあれ子どもを守るっていうところで頑張ってあげてるなっていう感じがしましたね。

古 家 「ユース」って言われてたんですけど、当事者の20歳から27歳位までの人たちが発表して、ほんとにソーシャルワーカーさんがいたから今があるっていうこと言ってましたね。


過去の事実に向き合う、欧米の子ども達


園 長 それぞれ家庭にいられない状況があって、そしてソーシャルワーカーさんに救われて今があるということを語っていましたね。今回その代替養育、里親さんで暮らした世界中の子、イギリスやアメリカの子と日本の子のシンポジウムがあったんですけれども、欧米の子と日本の子の意識がだいぶ違うなって思いましたね。

はっきり言うんですよね、イギリスの子なんて。今は27歳ですけど。里親家庭に入る前には親がドラッグをやってたり、ゴミのような扱いをされたって。犬小屋で育てられたとか。実はもう人を信頼しないっていうアピールのために自分が世界をコントロールするってことのために、暴力振るったりして里親家庭を30回も変わったんだって。

古 家 う~ん

園 長 刑務所にも入ったって。はっきり自分の過去を話してね。そのなかで治療のファミリーホームに入った時に「あ、本気で自分のこと心配してくれるソーシャルワーカーがいる」ということで段々立ち直って自分を見つめることが出来たっていう風に言ってましたね。

彼が言ってたのは、自分の行動ばかり見ないで欲しいって。自分の内面がいかに人を求めてるか、反対のことするんですけどそこに気づいて欲しかったと。彼は現在は自分と同じような立場の子どもを救う、ピア(仲間)で一緒に支えるというお仕事をしてるっていうから、ちょっと驚きでしたよね。

古 家 そうですね

園 長 だって刑務所に入ったんだよ。でも、立ち直ったらほんとに立派な大人として世界の最前線に立てるっていうのがすごい。アメリカの女の子達もお母さんが大抵はドラッグ問題ですね。シングルマザーで。自分の事をかまえるような状態じゃなかったっていうんだけど、ソーシャルワーカーが救い出してくれてみんな大学行ってるんですよね。奨学金で。

家の中で何も学んでないから奨学金ていう意味もわからないし、どう書いたらいいのか、その申請の仕方も何もわからない。成績はいいんだけど社会の仕組みとか関係性を学んでこなかったので、わからなかった時にソーシャルワーカーさんが全部やってくれたって、親代わりになってね。

そして今は奨学金をもらって大学に行けてるし、結婚もしたっていう女の子もいましたね。すっごい成績優秀で、シアトルにあるワシントン大学でかなりトップのほうで卒業した子もいました。

ノースキャロライナから来てるケイショウっていう男の子は、「過去をごまかさないでほしい、子どもだと思ってごまかさないで真実を教えてほしい、真実の中からでしか自分の事を知れないんだ」ってことを言ってましたね。
日本はまだ、ガン告知のようなもので、子どもが傷つくから言わないって。でもガン告知も最近昔はファジーにしてましたけど、今ほとんど本人に言いますよね。

それと同じように子どもだから教えないじゃなくて、きちんとその真実を教えてその上でフォローしてほしいってことを、そのノースキャロライナのケイショウ君が言ってましたよね。

欧米の子達はみんな親御さんとの関係にきちんと向かい合って、その上ですっごい辛い体験だったけど、親も大変だったからということを理解できて次にいけてる。ちょっと残念なのは、やっぱり日本の子たちは、シンポジウムではわりと悲惨だったっていう話もあったんですけど、親のことはまったくわからないけど施設の先生や仲間がいたから楽しかったっていう感じで。それが悪いというよりは幼い感じがしましたね。

古 家 やっぱり真実を知らないと大人になれないっていうのはありますよね。

園 長 そういう中でどんな状況にいる子でも、その親御さんを責めたり子どもを責めたり、地域の中であそこの家は、あそこの子どもはって村八分にするんじゃなくて、社会がきちんとその子の育ちを支えていく。それが国連で謳われているっていうところでは、ほんとに辛い思いしている子ども達にとって、希望になるような世界大会を大阪で開いてくれたなって思います。そしてこれからの日本がそんな風になっていったらほんとにいいなと思います。

子どもは大人をいっぱいいっぱにする存在

園 長 むぎの子では結構毎日、お母さんたちの子育てどうしたらいいんだろうとか、怒ってしまうとかそういう相談を受けますね。

古 家 そうですね。昨日もありました。

園 長 わりとみんなオープンにしてますね。そういうことを話していいんだ、みたいな。昨日のお母さんも買い物行って怒ってしまったと。そしたらみんな「よく人前で怒れて勇気あるね」っていうことを言うと、そのお母さんが「ちょっと人少なかったんだよね」とか。

別のお母さんは怒っちゃって、怒らないように怒らないようにしててやっぱり怒っちゃってすごい罪悪感が出ちゃったとか、いろんな話が出ますよね。でも怒っちゃわないほうがいいんだけど、怒っちゃうのはまあ仕方がないですよね、子育てしてたら。

古 家 そうなんですよね。

園 長 子どもって、なんか大人をいっぱいいっぱいにする存在みたいなもので、普段は別に普通に生きていけるんだけど、一生懸命関われば関わるほどなかなか言うこと聞いてくれないもんで、マックスになりがちですよね。

古 家 そう、追い詰められますよね、こちらのほうも。

園 長 すごいマックスになるのが当たり前。それを大きく出さないほうがいいのでわりと小さめに出しつつ出したら急に罪悪感を感じるお母さんもいるんだけど、それはあんまり感じないほうがいいんですよね。

古 家 やっぱり今の教育文化っていうものが、いいお母さんを求めるという背景もあるなと思いましたね。

園 長 それは母性神話であって、子育てって、いいときはいいけどマックスになったらイライラして怒ってしまいますよね。だからその叩いちゃったっていうお母さんも、話せるっていうのが大事ですよね。

人前でなくて、人がいなかったから叩いちゃったんだよと話すことで、少しそのお母さんも子どもに謝れる余裕を持つっていうかね。親も完璧じゃないからマックスになるとちょっと怒ったり、言わなくていいこと言っちゃったり叩いちゃったりするんだけど、それをちょっと余裕を持って自分を見れる、そういう仲間って大事ですね。そして子どもに「明るく謝る。子どもに謝る時は「はぁ、ほんとにごめんなさい」っていったらダメなの。

古 家 それは子どもが親のことを可哀相だなって思っちゃう。

子どもに謝る時は明るく謝る。それには社会的支えが必要。


園 長 そうなんです。子どもって全員健気なんですよ。あんなに暴れん坊なのに。お母さんに悪いことをしたのは自分だ、悪い自分だと思っちゃうんですよ。暗く謝ると子どもが今度罪悪感持っちゃうんで、できるだけ明るくっていうのがポイントですよね。そのためには仲間が必要ですよね。子どもに謝るっていうのは難しいけどね。

古 家 そう、ほんとに難しいことですよ・・・

園 長 人はね、間違いを起こして、何でも謝るというのは難しいんですよ。でもやっぱり、謝る時は誰にでも謝ったほうがいいですよね。

古 家 それが大人になるってことかなって思いますね。

園 長 だから身近な子どもに練習すればいいかな。ごめんねって、絶対子どもって許してくれるので。西澤哲先生という日本の子どものトラウマ治療の第一人者の方も言ってましたね。親が「ごめんね。自分はこうい生まれ育ちでついついあなたにもこんなことしちゃったんだ」ってことを言ってもらったら子どもは元気になれる。それだけでもう子どもは生きていけるんだっていうふうに言ってましたね。

なかなか親がそこまで行くのが大変なので、子どもも大変なまま大きくなっちゃうっていうのがありますけども小さいうちから「ごめんね」って明るく罪悪感を感じずに言えるっていうようになれたら本当はいいですけど。

古 家 そのためには専門的な支援も必要な時代ですね。

園 長 そうですね。お母さん一人で子どもと一対一だと詰まっちゃって謝るに謝れなくなっちゃって、突っ張った人間関係ずーっとどっかで引きずっちゃう。誰かに相談したり喋れたりするという親を支えるバックボーンがあって子どもとの関係が良くなるんだよね。

今までの地縁血縁、昔から住んでる人の中、血が繋がってる人の中で育てるっていうのが難しくなってきたので、そこは社会的ネットワークの中で育てる。友達、保育園、幼稚園とか、まあ幼稚園はちょっと難しいかもしれないけれど、保育園や、むぎのこのようなところとか保健センターとか、そういう子育て支援機関に支えられて子育てしていく。日本の社会福祉の学会が、先週の末に北星学園大学であったんですけれど、子育ては社会がさ支えていく、そういう時代だっていうことに、まさに取り組んでいました。

古 家 だから成熟した社会っていうものが求められてるのかなって思いましたね。

園 長 そのためには成熟したソーシャルワーカーを、親のせいにしないで社会的に支えていくっていう考えに立ったソーシャルワーカーを私達も育てないとだめですね。

東京の大学の先生達がね、そういう視点に立ってもうすでに応援してました。やっぱり札幌でも頑張っていかないとないと思いました。

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