2013年10月11日

ときどきやれない気持ちになりながらも成長していく

今回のゲストは鎌田さん。社会福祉法人麦の子会が運営する、生活介護事業「ハーベストガーデン」に通っている利用者さんです。最近の活動の様子をお話してもらいました。

楽しい活動、苦手な活動


古 家 パーソナリティーはむぎのこチャイルドファミリーセンターばばばあちゃんこと古家好恵がお送りします。今日のゲストは今度17歳になる鎌田さんです。

鎌田さん よろしくお願いします、こんにちは。

古 家 よろしくお願いします。鎌田さんは自分の障がいについてどんな風に知ってますか?

鎌田さん えーっとですね、やっぱ・・・うーん・・・どうしよう。

古 家 大丈夫、大丈夫。鎌田さんは生活介護事業ハーベストガーデンで活動してるんですけど、どのような活動をしてますか?

鎌田さん えーっと 楽しい活動でもやってるし、嫌な活動もすごくしてすごく経験していますね。

古 家 楽しい活動はどんな活動ですか?

鎌田さん えっと、みんなで歌おうとか買い物ですね。

古 家 そうですか。じゃあ苦手な活動ってありますか?

鎌田さん えっと、マラソンとかソフトボール投げとか、あと運動系の活動とか、あと日直がやっぱりだめなんですね。給食当番もちょっと苦手ですけど頑張ってますね。

古 家 苦手なことにも頑張ってるんですね。

鎌田さん はい、苦手なこと頑張らないと外販にも行けないですし、パン包みも出来ないからですね。

古 家 あ、そうなんですね。ハーベストガーデンではスワンのパンも販売していて、色んな所に外販に行くんですよね。

鎌田さん はい、そうです。

古 家 それでは外販の仕事が好きなんですね。じゃあ頑張ってるんですね。

鎌田さん はい。


旧喜茂別小学校にお誘いいただいて、キャンプしました


古 家 今までハーベストガーデンの活動とか生活の中で楽しかったことはどんなことですか?

鎌田さん 楽しかったことは、「みんなで歌おう」です。わーわーすごく盛り上がっちゃって。

古 家 そうなんですね。この前、北陽建設の社長さんのお誘いで、喜茂別町の小学校を改築した宿泊施設にハーベストガーデンのみんなでキャンプに行きましたよね。それは楽しかったですか?

鎌田さん 楽しかったです。

古 家 どんなことしましたか?

鎌田さん えっと、レクリエーションのカラオケでようこさんがイェイイェイイェイェイェイ歌ってるところで、私がサプライズゲストとして来たんですよ。それで盛り上がっちゃって。

すごく楽しくてノリノリで「イージートゥダンス」を歌ってすごく盛り上がって。「イージートゥダンス」が終わったあとにあたしが退場して部屋に戻ったんですよ。二日目は中山峠でソフトクリームを食べました、おいしかったです。

古 家 それはよかったですねぇ。みんなでグループで活動してダンス踊ったりね。そうそう、その宿泊施設にはカラオケの豪華な設備があってそれでみんなで歌ったんですよね。北陽建設の社長さんが、ほんと楽しめるようにしてくれましたね。

鎌田さん そうですね。はい。

古 家 あと温泉も行きましたね。

鎌田さん 行きました。

古 家 温泉行って、そして焼き肉もしてみんなで食べて、そしてカラオケして、次の日に帰ってきたと。

鎌田さん 次の日は、中山峠でおやつ食べて・・・

古 家 そこでソフトクリーム食べたんですね。

鎌田さん はい。ハーベストガーデンで解散式をやってその場で帰りました。

古 家 そうなんですね。

鎌田さん はい。

古 家 ハーベストガーデンでは16歳から50代の方まで利用者さんがいて、女性もたくさんいるので一緒にビーズ作ったりする手芸教室もやったり、茶道もやったり。あとフラダンスには入ってないんでしたか?

鎌田さん はい、フラダンスやってます。

古 家 あ、フラダンスもやってるんですか。?じゃあフラダンスで発表会が「かでる」で・・・

鎌田さん 発表会出てないです私。

古 家 あ、発表会出なかったんですね。

鎌田さん はい、私フラダンスに入ったばかりなので

古 家 あーそうなんですか、じゃあこれからが楽しみですね。

鎌田さん 楽しみです。

古 家 はい、じゃあ歌ったり踊ったり、そういうことが大好きな鎌田美穂さんのリクエストでAKB48の「SO LONG」をおかけしますね。


お話できることが楽しい


古 家 はい、AKBの大好きな鎌田さんです。カラオケに行ってこの歌を歌ったこともあるということで、カラオケにはヘルパーさんと一緒に行ってるそうで。

鎌田さん はい、ときどき行ってます。若いヘルパーさんです。

古 家 あ、そうなんですね。じゃあ、若いヘルパーさんと一緒に行って歌ったり楽しんだりしてるということでね。

鎌田さん はい。

古 家 美穂さんはむぎのこに三歳ぐらいのときにお母さんと一緒に来たんですよね。

鎌田さん はい。

古 家 そのときはあまりお話ができなくって、今はたくさんお話しできるようになってるんですけど。

鎌田さん そうです。

古 家 お話できるようになってどうですか?

鎌田さん 楽しいです。

古 家 やっぱりお話出来るって楽しいんですね。

鎌田さん はい。

古 家 友達とかみんなの中で、山に登ったり海に行ったり、むぎのこにいた時は友達とけんかしたり、いろんなことあったけど。

鎌田さん はい、それがちょっとつらい時もありました。

古 家 うん、つらいこともあったけど、こんなふうにもうすぐ17歳ということで、素敵な女性になりましたね。

鎌田さん はい。

古 家 それで今では外販にも行ったりとか働くことも楽しめる。楽しんで働いて、もっと働きたい、そういう希望を持ちながらサークル活動もたくさんして、茶道教室にも入ってるんですよね。

鎌田さん はい、再デビューということで。私去年ずっと休んじゃったので。

古 家 休んでたんですか去年は。

鎌田さん はい。

古 家 でも今年になってからは?

鎌田さん はい、再デビューできました。

古 家 再デビューしたんですね。そうなんですね。やっぱりときどきやれないなって気持ちになったりしながら、それでもやっぱりやってみようっていう挑戦する、そういう努力っていうのかしらね、そういうことで段々段々成長してきたんですね。

鎌田さん はい。


ジャンプレッツバザーに皆さん来て下さい!


古 家 それで明日土曜日なんですけど、ジャンプレッツバザーがあるんですよね。

鎌田さん はい。

古 家 北35条東28丁目の方でジャンプレッツ生活介護事業と就労移行支援事業ということで事業所があるんですけど、その「ジャンプレッツ」で10時から14時までバザーがあります。鎌田さんはどのような係をやるんですか?

鎌田さん 「ハーベストガーデンビーズアクセサリーショップ」をやるんですよ。私達みんなで作ったビーズアクセサリーを売るんですよ。指輪とかブレスレットとかストラップもありますし、ぜひみなさん買って下さい、よろしくお願いします。

古 家 そうですね。みなさんに来ていただいて、たくさん買っていただけたらいいですね。

鎌田さん はい、売れるといいです。

古 家 あと茶道教室でお茶会もやるんですよね?

鎌田さん お茶会もやります。

古 家 鎌田さんもお茶をするんですか?

鎌田さん お茶するときもありますし、順番に。なんか「お菓子をどうぞ」「いただきます」て私が言って。

古 家 お菓子を配るんですね?一人一回500円?

鎌田さん 一人一回500円なんですよ。

古 家 そうなんですね。それにも来てもらったらいいですね。

鎌田さん 来てもらいたいです。

古 家 他にもスワンのパンも売ってるし、それからジャンプレッツの畑で採れた野菜もあるし。畑に行ったことはあるんですか?

鎌田さん あります。じゃがいも、ピーマン、なす、トマトとか。

古 家 野菜もたくさん買っていただきたいですね。それから食事ですね。食事の方はどんなものがありましたっけ?

鎌田さん えっと焼きそば、カレーライス、フランクフルト、フライドポテト、五目ご飯・・・

古 家 みんなの大好きな食べ物がたくさんあるので、そこら辺のところも・・・

鎌田さん 焼き鳥・・・

古 家 ああ焼き鳥もありますね。きていただきたいですね。

鎌田さん 来ていただきたいです。

古 家 今日は雨降ってるけど明日晴れたらいいですね。

鎌田さん 明日晴れたらいいですね。

古 家 うんうん。じゃあ私も明日行こうと思うんですけどぜひ、鎌田さんの売っているアクセサリーを・・・

鎌田さん ビーズアクセサリー

古 家 それとお茶ですね。お茶の方もぜひ来ていただきたいなと思います。こんな風にジャンプレッツで活動している人もいるし、ハーベストガーデンで活動してる人もいるんですけども、合同でバザーをやってそれぞれが係になり、お母さん方と職員と、利用してるみんなで協力し合ってバザーを毎年毎年やってきました。

ジャンプレッツが始まったのが10年前なんですけど、鎌田さんは2年前にジャンプレッツに入ったんですよね。それで去年、ハーベストガーデンの方に移ったと。

鎌田さん 違う、今年ハーベストガーデン移ってて去年ジャンプレッツに入ったんですよ。

古 家 ああ、ごめんなさいね(笑) 今年ハーベストガーデンの方に移ったんですね。ということで、明るくみんなで活動している鎌田さんでした。こんなにお姉さんになってほんとに今日は来てくださってどうもありがとうございます。

鎌田さん はい、また来たい、またラジオに出演したいです。よろしくお願いします。

2013年9月27日

親がいっぱいいっぱいにならないための社会的支援を、IFCO2013 大阪世界大会から考える

「社会的養護は家庭的代替養育」が世界的な流れ


園 長 とても天気が良くなりましたけど、随分朝晩冷え込んでますね。ばばばあちゃんが今日は来てくれてます。おはようございます。

古 家 おはようございます。

園 長 昨日などは、私ダウンジャケット着ました。随分寒くなりましたね。今ちょっと気温が高くなりましたけれども、秋はやっぱり寒暖の差が大きいですね。

さて先日、大阪で開かれた里親の世界大会にばばばあちゃんと一緒に参加してきました。そこではいろんな衝撃的なことに出会いましたね。

古 家 やはり世界は進んでいるんだなと思いました。

園 長 まず、あの国連の子どもの権利条約のワーキンググループでしたか? 代替養育っていう里親とかファミリーホームの部分を書いたワーキンググループの方の記念講演でしたね。

古 家 25カ国の方々が集まったんですけれども、世界に発信しようというそういう姿勢みたいなものが素晴らしいなと思いましたね。そういう姿勢というのが。

園 長 全世界で子どもを大事にしていこうっていう国連の意気込みが伝わってきましたね。貧困の問題とか病気とかAIDSとかいろんな子どもを救う問題がある中で、今回は虐待や何らかの事情で家族と一緒に住めない子の権利をどう守っていくのかっていうお話でしたね。

古 家 そうですね。

園 長 国連の考えとしては、できるだけ生みの親から離さない、不分離の原則っていうのがあって、そこで親御さんと子どもさんを応援していこうっていうのが第一原則ですよね。そういう中で子どもの権利を守る、権利擁護という視点がまたまた高かったんですけど、大人の判断ではなくて子どもの意思とか権利とかきちんと守っていくっていう。例えば虐待を受けてる子どもっていうのはそれが日常になっていて、何か発信したら大好きな親御さんと別れて暮らさないといけないっていうこともあるので、子ども側からは発信できない、どうしても子どもは自分の権利を守れない、弱い存在という部分もあるんですよね。

それを保護するというよりはその権利を守るっていうことで、まずは子どもの代弁者としての大人が、分離が必要な子は分離をして子どもの育つ権利を守る。そして、その分離先は大きい施設ではなくて家庭に近い家庭的代替養育できる場所だと。英語でいえば‘Family base’や‘Family  like’、里親さんはFamily baseで里親ファミリーホームはFamily likeになるかと思うんですけど、なるべく家庭に近い形での子どもの育ちを保障していこうっていうのははっきりと打ち出されていました。

古 家 そうですね。世界の流れでしたね。社会的責任としてね、個人の問題じゃなくてっていうところは、すごい励まされましたね。

園 長 意識高いですね、やはりね。

古 家 虐待を受けたら愛着障害になると。でも愛着障害になったことに対して、諦めないで安全で安心できる環境を作っていってあげるんだっていう、社会が責任持つというところでは本当に素晴らしいと思いましたね。


ソーシャルワーカーの輝き


園 長 特にそのなかでソーシャルワーカーが、ほとんど中心的な人物でしたね。

古 家 そうでしたね、なんかすごい明るい気持ちになりましたね、私は。

園 長 ソーシャルワーカーたちが世界中で子どもを守ってる。個人の判断じゃなくてチームの判断で。特にスウェーデンとかイギリスとかアメリカのソーシャルワーカーさんは気取ってないですよね。

古 家 そうなんですよね。

園 長 とにかく、なにがともあれ子どもを守るっていうところで頑張ってあげてるなっていう感じがしましたね。

古 家 「ユース」って言われてたんですけど、当事者の20歳から27歳位までの人たちが発表して、ほんとにソーシャルワーカーさんがいたから今があるっていうこと言ってましたね。


過去の事実に向き合う、欧米の子ども達


園 長 それぞれ家庭にいられない状況があって、そしてソーシャルワーカーさんに救われて今があるということを語っていましたね。今回その代替養育、里親さんで暮らした世界中の子、イギリスやアメリカの子と日本の子のシンポジウムがあったんですけれども、欧米の子と日本の子の意識がだいぶ違うなって思いましたね。

はっきり言うんですよね、イギリスの子なんて。今は27歳ですけど。里親家庭に入る前には親がドラッグをやってたり、ゴミのような扱いをされたって。犬小屋で育てられたとか。実はもう人を信頼しないっていうアピールのために自分が世界をコントロールするってことのために、暴力振るったりして里親家庭を30回も変わったんだって。

古 家 う~ん

園 長 刑務所にも入ったって。はっきり自分の過去を話してね。そのなかで治療のファミリーホームに入った時に「あ、本気で自分のこと心配してくれるソーシャルワーカーがいる」ということで段々立ち直って自分を見つめることが出来たっていう風に言ってましたね。

彼が言ってたのは、自分の行動ばかり見ないで欲しいって。自分の内面がいかに人を求めてるか、反対のことするんですけどそこに気づいて欲しかったと。彼は現在は自分と同じような立場の子どもを救う、ピア(仲間)で一緒に支えるというお仕事をしてるっていうから、ちょっと驚きでしたよね。

古 家 そうですね

園 長 だって刑務所に入ったんだよ。でも、立ち直ったらほんとに立派な大人として世界の最前線に立てるっていうのがすごい。アメリカの女の子達もお母さんが大抵はドラッグ問題ですね。シングルマザーで。自分の事をかまえるような状態じゃなかったっていうんだけど、ソーシャルワーカーが救い出してくれてみんな大学行ってるんですよね。奨学金で。

家の中で何も学んでないから奨学金ていう意味もわからないし、どう書いたらいいのか、その申請の仕方も何もわからない。成績はいいんだけど社会の仕組みとか関係性を学んでこなかったので、わからなかった時にソーシャルワーカーさんが全部やってくれたって、親代わりになってね。

そして今は奨学金をもらって大学に行けてるし、結婚もしたっていう女の子もいましたね。すっごい成績優秀で、シアトルにあるワシントン大学でかなりトップのほうで卒業した子もいました。

ノースキャロライナから来てるケイショウっていう男の子は、「過去をごまかさないでほしい、子どもだと思ってごまかさないで真実を教えてほしい、真実の中からでしか自分の事を知れないんだ」ってことを言ってましたね。
日本はまだ、ガン告知のようなもので、子どもが傷つくから言わないって。でもガン告知も最近昔はファジーにしてましたけど、今ほとんど本人に言いますよね。

それと同じように子どもだから教えないじゃなくて、きちんとその真実を教えてその上でフォローしてほしいってことを、そのノースキャロライナのケイショウ君が言ってましたよね。

欧米の子達はみんな親御さんとの関係にきちんと向かい合って、その上ですっごい辛い体験だったけど、親も大変だったからということを理解できて次にいけてる。ちょっと残念なのは、やっぱり日本の子たちは、シンポジウムではわりと悲惨だったっていう話もあったんですけど、親のことはまったくわからないけど施設の先生や仲間がいたから楽しかったっていう感じで。それが悪いというよりは幼い感じがしましたね。

古 家 やっぱり真実を知らないと大人になれないっていうのはありますよね。

園 長 そういう中でどんな状況にいる子でも、その親御さんを責めたり子どもを責めたり、地域の中であそこの家は、あそこの子どもはって村八分にするんじゃなくて、社会がきちんとその子の育ちを支えていく。それが国連で謳われているっていうところでは、ほんとに辛い思いしている子ども達にとって、希望になるような世界大会を大阪で開いてくれたなって思います。そしてこれからの日本がそんな風になっていったらほんとにいいなと思います。

子どもは大人をいっぱいいっぱにする存在

園 長 むぎの子では結構毎日、お母さんたちの子育てどうしたらいいんだろうとか、怒ってしまうとかそういう相談を受けますね。

古 家 そうですね。昨日もありました。

園 長 わりとみんなオープンにしてますね。そういうことを話していいんだ、みたいな。昨日のお母さんも買い物行って怒ってしまったと。そしたらみんな「よく人前で怒れて勇気あるね」っていうことを言うと、そのお母さんが「ちょっと人少なかったんだよね」とか。

別のお母さんは怒っちゃって、怒らないように怒らないようにしててやっぱり怒っちゃってすごい罪悪感が出ちゃったとか、いろんな話が出ますよね。でも怒っちゃわないほうがいいんだけど、怒っちゃうのはまあ仕方がないですよね、子育てしてたら。

古 家 そうなんですよね。

園 長 子どもって、なんか大人をいっぱいいっぱいにする存在みたいなもので、普段は別に普通に生きていけるんだけど、一生懸命関われば関わるほどなかなか言うこと聞いてくれないもんで、マックスになりがちですよね。

古 家 そう、追い詰められますよね、こちらのほうも。

園 長 すごいマックスになるのが当たり前。それを大きく出さないほうがいいのでわりと小さめに出しつつ出したら急に罪悪感を感じるお母さんもいるんだけど、それはあんまり感じないほうがいいんですよね。

古 家 やっぱり今の教育文化っていうものが、いいお母さんを求めるという背景もあるなと思いましたね。

園 長 それは母性神話であって、子育てって、いいときはいいけどマックスになったらイライラして怒ってしまいますよね。だからその叩いちゃったっていうお母さんも、話せるっていうのが大事ですよね。

人前でなくて、人がいなかったから叩いちゃったんだよと話すことで、少しそのお母さんも子どもに謝れる余裕を持つっていうかね。親も完璧じゃないからマックスになるとちょっと怒ったり、言わなくていいこと言っちゃったり叩いちゃったりするんだけど、それをちょっと余裕を持って自分を見れる、そういう仲間って大事ですね。そして子どもに「明るく謝る。子どもに謝る時は「はぁ、ほんとにごめんなさい」っていったらダメなの。

古 家 それは子どもが親のことを可哀相だなって思っちゃう。

子どもに謝る時は明るく謝る。それには社会的支えが必要。


園 長 そうなんです。子どもって全員健気なんですよ。あんなに暴れん坊なのに。お母さんに悪いことをしたのは自分だ、悪い自分だと思っちゃうんですよ。暗く謝ると子どもが今度罪悪感持っちゃうんで、できるだけ明るくっていうのがポイントですよね。そのためには仲間が必要ですよね。子どもに謝るっていうのは難しいけどね。

古 家 そう、ほんとに難しいことですよ・・・

園 長 人はね、間違いを起こして、何でも謝るというのは難しいんですよ。でもやっぱり、謝る時は誰にでも謝ったほうがいいですよね。

古 家 それが大人になるってことかなって思いますね。

園 長 だから身近な子どもに練習すればいいかな。ごめんねって、絶対子どもって許してくれるので。西澤哲先生という日本の子どものトラウマ治療の第一人者の方も言ってましたね。親が「ごめんね。自分はこうい生まれ育ちでついついあなたにもこんなことしちゃったんだ」ってことを言ってもらったら子どもは元気になれる。それだけでもう子どもは生きていけるんだっていうふうに言ってましたね。

なかなか親がそこまで行くのが大変なので、子どもも大変なまま大きくなっちゃうっていうのがありますけども小さいうちから「ごめんね」って明るく罪悪感を感じずに言えるっていうようになれたら本当はいいですけど。

古 家 そのためには専門的な支援も必要な時代ですね。

園 長 そうですね。お母さん一人で子どもと一対一だと詰まっちゃって謝るに謝れなくなっちゃって、突っ張った人間関係ずーっとどっかで引きずっちゃう。誰かに相談したり喋れたりするという親を支えるバックボーンがあって子どもとの関係が良くなるんだよね。

今までの地縁血縁、昔から住んでる人の中、血が繋がってる人の中で育てるっていうのが難しくなってきたので、そこは社会的ネットワークの中で育てる。友達、保育園、幼稚園とか、まあ幼稚園はちょっと難しいかもしれないけれど、保育園や、むぎのこのようなところとか保健センターとか、そういう子育て支援機関に支えられて子育てしていく。日本の社会福祉の学会が、先週の末に北星学園大学であったんですけれど、子育ては社会がさ支えていく、そういう時代だっていうことに、まさに取り組んでいました。

古 家 だから成熟した社会っていうものが求められてるのかなって思いましたね。

園 長 そのためには成熟したソーシャルワーカーを、親のせいにしないで社会的に支えていくっていう考えに立ったソーシャルワーカーを私達も育てないとだめですね。

東京の大学の先生達がね、そういう視点に立ってもうすでに応援してました。やっぱり札幌でも頑張っていかないとないと思いました。

2013年9月20日

一人が大好きだった私達がつながって、その子同士もつながる

池谷さんピンチヒッターで、きょうだい児保育園について


池谷さん いつものパーソナリティ北川園長と古家ばばばあちゃんは今週は情緒障害児短期治療施設の東北研修のため、5月にこの番組にゲスト出演させて頂きました私、池谷が代わりを務めさせて頂きます。よろしくお願いします。

今日のゲストはむぎのこの大先輩でもある船木さんに来ていただいてます。船木さん、今日はよろしくお願いします。

船木さん よろしくお願いします。

池谷さん 船木さんといえば3人の子どものお母さんで、今のむぎのこのきょうだい児の保育園を最初に起ち上げてくれた先輩お母さんなんですけれども、きょうだい児の保育園を、まず作りたいって思ったきっかけはどういうものだったんでしょうかね?

船木さん 私は長男の健矢が自閉症だっていうことでわかったときに、むぎのこに通うことになったんですね。ちょうどまわりのお母さんたちが下の子を産んでいて、きょうだいの子どもたち、赤ちゃんたちがいっぱいいました。うちは健矢が自閉症で多動だし、赤ちゃんいても育てられるのかなーっていう気持ちでいました。当時むぎのこはほぼ全員母子通園だったからね。

そしてそれをまわりのお母さんとかむぎのこの園長先生とかにお話ししてみたら園長が、「赤ちゃんのことを預かっていられる保育園があったらお母さんも安心してむぎのこに通って子育てすることもできるよね」って。

私も「あっそうなんだ」って思ってね。隣に保育園があったら自分も安心して母子通園したり、赤ちゃんにおっぱいあげにもすぐ行けるし。近隣の保育園とかだったらすぐ入ることが出来ないんですよ。でも赤ちゃんのいる人でもすぐ母子通園もできる、そういう保育園があったらいいなって思って作りました。

池谷さん 私もね、息子と通うようになったとき、まだ下の娘がちっちゃくてね。私もほんと助かった一人なんですけれども、ほんとに。私の時はほら、もう船木さんたちが、そういうふうに作ってきてくれたので、当たり前のように併設されていて、すごい恵まれた環境だったんだけども、やっぱり一番最初にね、何もないところからね、自分たちで立ち上げるってね、ものすごく勇気もいることだし・・・すごいですよね。

船木さん 不安症の私だったのでそれは相当なものだったと思うんですけど・・・。

池谷さん その当時ね、なんか振り返ってね、そういう大変だったこととかね苦労した、思い出すようなお話ってありますかね?

船木さん なんか大変なことだらけだったと思うんだけど。そういう前例がなかったのでね。ボランティアさんをお願いしましたね。そういう子どもたちのために、なんとか療育やってる時間だけでも見てくれないかってことで。

場所探しは、むぎのこの近くに空き家があって、そこはある神父さんの持ち物だったので、そこを神父さんに、こういう子ども達のために使わせてもらえないだろうかってお願いしました。そしたら、ほんとに快く使わせてもらえて、「いや、こんないい人がいるんだ!」ってほんとに嬉しくなっちゃって。そして、むぎのこのすぐ横の建物で子ども達の保育をすることができるようになりました。

ボランティアさんも次第にみんな人づてで来てくれたりとかして。そしてみんなで私達の子どもを育ててくれたんですよね。利用するお母さんたちもどんどん増えてきて、こういうことやったらいいよ、あんなことやったらいいよって仲間で相談しながら進めてきました。池谷さんたちが来た時には、もうかなり軌道に乗っていた状態だったと思うんですよ。

池谷さん 恵まれててなにもかもが揃ってるという。

船木さん 世の中っていい人いるんだなっていうのをね保育園のときすごく感じましたね。自分はすごい不幸だって、障がいがある子がいるってことでそういう風に思ってたんだけども、理解してくれる人の多さにも気付かされた出来事だったなって。今思えばですね。


はじめは自分の目先のことだけを考えてました


池谷さん そうなんですか・・・ いやもう、ほんとそのお陰でね、今むぎのこに通うお母さんたちがね、安心して保育園を利用して、上の子の療育や、行事に参加してる姿を見てね、今どう感じますか?

船木さん そうだね、私が作った時は自分の子どものことで作ったんだけれども、でも将来的にこんな風になってるのを見て、ああ、すごく良かったなっていう風に思いますね。作った時はほんとに自分の目先の事ばかりしか考えられなかったんだけれども。

私も子どもを生むこと自体も、きょうだい生むこと自体もすごい迷ったお母さんの一人であって、そしてむぎのこに来たお母さんで二人目の赤ちゃん、池谷さんみたいな赤ちゃんを連れてくるお母さんもいるんだけれども、これからって考えてるお母さんたちも、保育園の存在を知ったらすごい勇気づけられて「そっか、きょうだいっていてもいいんだ、大丈夫だ」って安心して子育てできるかなっていう風に思っています。

池谷さん そうですね。だってほんとに兄弟がいたら、まず上の子の障がいがあるってことだけでもものすごく、特にね、外に出るっていうのに勇気がいるのに、ちっちゃな下の子がいたらものすごく外に行くのも・・・なんていうんだろう、こもっちゃう。

船木さん ひきこもりになる?

池谷さん そう!そうそう。だけどね、保育園があるってことでね、みんな通いだして、そこできょうだい預けるとやっぱりお母さんもきょうだいの子ども達もみんなやっぱりね。

船木さん 元気になるよねー。


お母さん同士がつながり、きょうだい同士もつながった


池谷さん ほんとに諦めずによく作ってくれてね。やっぱりまわりの仲間の力っていうのは強いですか?

船木さん そうだね、私が下の子を妊娠する前にも赤ちゃんを連れてきてたお母さんもいて、そのお母さんもやっぱり一緒にやんなきゃダメだっていうことで「一緒にやろう!」って一緒にやってくれたお母さんの一人でもあります。今でもそのきょうだい同士もずっとちっちゃい時から繋がっているから、お互いに障がいのきょうだいがいる友達同士っていうことで、ずーっと今でも0歳のときから繋がっています。

作った時はそんなこと考えられなかったんだけど、でもこういうことなんだなって。今はその保育園で育った子が小学校4年生で、その友達同士で育つっていうことは、お兄ちゃんのこと隠さなくてもいいし、自分も楽に生きれるし、自分の辛さも共感できる友達がいるっていうのが、すごくありがたいなっていう風に思いますね。

池谷さん いや~ほんとそうですよね。

船木さん 同じ立場じゃないとやっぱりそれって理解しがたいことで、うちのお兄ちゃんこうなんだよねって言ったら周りの子引いちゃう・・・

池谷さん やっぱり仲間がいるってだけで、それをわかってくれるっていう仲間がいるだけでなんか自信ってね、付きますよね。ほんとにありがとうございます。


一人のほうが楽だった私達がみんなと暮らす生活へ


池谷さん 船木さんて3人の子どもの子育てもして、私が息子とむぎのこに通うようになったときにはね、もうすでに船木さんは先輩お母さんとしてもね、後輩のお母さんのケアとかお仕事もバリバリしていてね、とてもパワーのある方だなって感じていたんですけどね、船木さんて子どもの頃から積極的な子どもだったんですか?

船木さん 子どものときはね、あんまり人と接することが好きじゃない子だったんだよね、どちらかと言えばね。今思えばとっても自閉的な子どもで、自分の世界、自分のワールド持ってて、そして自分の空想の世界、ファンタジーが大好きなそんな子だったよなーていう感じですね。

代表とかに選ばれたりとかもするんだけど、自分としてはなんか一人でいるのが好きだったり、なんか現実味を帯びてない感じで生きていたような子ども時代で、今とは全然違うね。

やっぱりむぎのこに来たお陰で、人と接することの大事さがわかったりとか、自分一人で今まで勝手にやってた部分とかもあったんだけれども、ちょっと周りが見えてくるようになったとか、それで人との話も、自分にないもの持ってるっていうことを発見したりとかね。

自分の母親との関係では、お母さんって絶対こうやって言ったらこうやって返ってくるなっていうのがもう自分の中では出来上がっていたんだけれども、むぎのこに来てからは、お母さんの答えと違う、それだけじゃないっ、こういう考え方もあるんだ、こういうこともできるんだていうことが自信になったり、驚きだったりで、ちょっとずつ殻から出てきたのかな・・・

池谷さん はじめはやっぱりさ、一人の世界になってて・・・

船木さん 楽だった。

池谷さん 楽だったしょ?やっぱり出てきたくないっていうね。一人がいいって私もそんな時期があったんですよね。

船木さん そうそうそう、そうなんですよね。

池谷さん でもなんかむぎのこのね、不思議だよね。なんだろう段々溶けていく・・・

船木さん 自分の家族も自分の家族だけでなんでも解決しなきゃなんない、自分の家族だけでやんなきゃなんない、っていうのがすごく強かったと思うんだけども、むぎのこに来たらそうじゃなくてみんな助け合おうよっていうのがすごくあるし、やっぱり助け合わなきゃやっていけないっていう部分もある。

みんなそこでコミュニケーションとるようになって、今まで子ども育ててきた中でも大変なこともいっぱいあったから、自分の家族だけじゃやっぱり解決出来ないんだっていうことがほんとに多くて。そしてみんな助けられてやってきたなっていうのがすごくあるよね。だってさそうじゃなきゃ子ども3人も育てられない・・・。


自分を受け入れて、子どもも受け入れて


池谷さん やっぱりむぎのこに通うまでは、自分ていうのがどこか受け入れられなかったりとか、ある程度これでいいんだっていうちょっとある意味開き直りみたいのもあったと思うんだけども。

船木さん そうそう、なんか自信みたいのもあったし、これが間違いないとかって思ったりもしてたんだけどでもね。でも挫折したり、これじゃいけないんだなってことがいろいろあってそして受け入れるようになったのかな。

池谷さん 自分間違いないって最初思ってたからね。やっぱり自分のね、そういういろんな感情とかね、マイナス面とかもね受け入れられない時ってね、やっぱり自分にも優しく出来ないし、子どもにももちろん優しくできる余裕なんてないじゃないですか。

船木さん 人にも攻撃するしね。

池谷さん やっぱりね、船木さんもね、お子さんとか見てるとね、やっぱり不器用ながらにでも少しずつ自分を、泣いたり怒ったり笑ったり表現できるようになってきてるじゃないですか。それって船木さんがね、少しずつ変化してったっていうか・・・こう努力していったというかね。

船木さん 自分ではわかんないんだけどね。

池谷さん わかんない、そのときはね。ただ相手してやってるからね。それでもやっぱりこう少しずつ。

船木さん そうだよね。だってさ、私も自分の親から見て自分はこうあるべきだって、それで育ってきてて、それと同じように子どもにもやってたと思うんだけれども、やっぱりそこで不健全なものの繰り返しが断ち切れれば嬉しいかな。


振り返るのはつらいけど『やさしさに包まれたなら』


池谷さん うんうん。なんでしょうね、このむぎのこ生活を自分自身が受け入れるようになったきっかけ、出来事になると、今思うとどうでしょうかね。まわりとのかかわりの中で自分を振り返るっていうこと・・・かね?

船木さん そうだね~。

池谷さん いろんなね。辛いんだけどね。振り返る機会っていうのは・・・

船木さん そこにだけは触れたくない、自分はこれで間違いないって思ってるから、見つめるっていう機会を今までは避けてきたんだけども。やっぱりそこを見つめることによって、自分の生い立ちもそうだし、ああ自分てこうやって育ってきたからこうなんだよなあ、それを自分の子どもにも繰り返しちゃいけないよなっていうふうにも思ったし、間違いだったんだよなっていうこととかもすごくたくさんあったし。

自分は「こうあるべきだ」っていう風に親から育てられてるから、子どもにもやっぱり「こうあるべきだ」っていうのをすごい押し付けちゃってて。でもその通りいかない子ども達で、悪戦苦闘して。「こうあるべきだ」ってされた自分も嫌だったっていうのもすごい思い出して。

池谷さん そっか やっぱりね。完璧な人間なんていないっていうことで。そうなるとなんかね、楽になるよね。子どものマイナス面にも共感できたりもね。これでいいんだっていうね。うまくいかないときもあるけど、周りに助けてもらいながら。

船木さん 怒ってたりしたら周りのお母さんとかも止めてくれたりね。

池谷さん 自分一人では育てられないということで。

船木さん 最初はでもね怒るっていうことも人前でしないで家とかで怒ったりとかイライラしたりとか悪い空気出したりしてたんだけど、それを人前でやるようになったっていうのがすこし進歩なのかな。

池谷さん まわりを信じれてね。自分を出せるようになったっていう。なんとなく自分らしく生きていけるっていう。

船木さん それを否定されないっていうことですよね。「何やってんだ!」とかってさ。

池谷さん さて、次にかける曲なんですけどユーミンの「やさしさに包まれたなら」

船木さん 自分が包まれたいっていう気持ちなんだけど(笑)子ども達も包んであげたいって気持ちもあるんだけれどもね。実はこれあの、私の結婚式のBGMに使った曲でありまして、思い出の曲であります。

2013年9月13日

キャンプの余韻・お父さん達の活躍とマラソン大会


新内さん2度目のピンチヒッターです


新内さん 今日はいつものパーソナリティーの北川園長と古家ばばばあちゃんは、大阪での里親会の世界大会へ行っているので、今日は以前にもピンチヒッターを務めさせていただいた新内がお送りします。今日のゲストは7月にゲストで出演していた深瀬さんです。深瀬さんこんにちは。

深瀬さん こんにちは。

新内さん よろしくお願いします。実は深瀬さんと、深瀬さんの息子さんと私の娘は同じ学年で小学校3年生です。いつも仲間で。

深瀬さん そうです。

新内さん 今日は7月の最後に一緒にキャンプへ行ったんですけど、その話をちょっとしたいなと思います。

深瀬さん キャンプは4回目ですね、年長さんのときから数えて4回目のキャンプだったんですけども、今までのキャンプよりも、ほんと楽しかったな、充実したキャンプだったなっていう印象ですね。

新内さん 私もなんかとっても今回は落ち着いていて、そしてお母さんたちも協力し合えてすごく楽しめたなっていう印象があるんですけれども。結構色んなことしましたよね。

深瀬さん 雨ですごい天気悪かったから変更も多かったんだけど特に子ども達も、ぎゃーってなることもなく(笑) 自分の子が安定してたから楽しかったのかなっていう気もしますね。

新内さん 私も4回行ってるんですけど、やっぱり1回目の時は自分の子どもを見るのが精一杯で、でもキャンプってこんなものかっていう感じで終わって、自分のことしかできなかったっていうキャンプでした。でも段々年を重ねるごとに周りの子のことも見れるし「あそこが大変そう」と思ったら自分がちょっと助けに行ったり、また自分がちょっと大変になったらヘルプを出さなくても他のお母さんが助けに来てくれたりして、そういうのですごく今回はみんなに助けてもらってるし、自分もちょっと力になれてるかなっていう。

深瀬さん そうですね。同じ学年のお母さんなんですけど、家族で行くキャンプより楽だったって言ってたお母さんがいて、やっぱりそれは家族で行くと、お父さんは火をおこしたりするので、子どもを見るのはどうしても自分になっちゃうと。今回はみんなで見てくれたから自分も他の子も見たんだけど、いつも行くキャンプよりもすごい楽に感じたって言ってました。それだけみんな助け合えてできたキャンプだったんだなって、帰ってから思いました。

新内さん そうですよね。今回も250人くらいいたけど250人の大家族っていう感じでお父さんがいっぱい、お母さんがいっぱいで、それでみんなで子どもを見てるっていう感じで。あまり危険なこともなくみんな、ほんと楽しんでるなって。場所が中小屋小学校だったというのもあって子どもたちものびのびしていて親ものびのびしてません?

深瀬さん そうですね。子ども達も早く寝てくれたせいか親同士も・・・

新内さん 盛り上がり・・・

深瀬さん 盛り上がる話もできたし。いいキャンプ、ほんとに充実した、いいキャンプでした。

新内さん そうですね~ 山はどうでした? 結構突然の変更で山へ行き、そして初めての行く場所だったので・・・

深瀬さん 海だと思っていたのでまったくの予想外の山登りで、どこがゴールかどんだけの山かもわからない状態で登ったんですけど、ほんときつくていつ終わるんだろうって。時間までに戻れるんだろうかってそんな感じだったですけど。でも終わってみたら汗だくだったんですけど海に行くよりも達成感とか味わえて、子ども達にとっても良かったんじゃないかなっていう風に感じました。

新内さん 子ども達も「やった!!」ていう感じで降りて来ましたよね。

深瀬さん そうですね。

新内さん でもほんとはいつも行ったことのあるところだと見通しも持てて、親としてはすごく安心なんだけど、多分子供のほうが先に楽しんでたような。子どもが楽しんでるから親もそんな気持ちで楽しんでる、そんな感じでしたよね。

深瀬さん うちの子も大体グダグダになるんですけど、あんまりそんなこともなく、なんかこう一年一年やっぱり、大きくなってるんだなっていうのがすごい実感できたキャンプでしたね。


隣の露天風呂でうちの子も入ってる…


新内さん あと温泉にも行きましたけど、温泉はどうでしたか?

深瀬さん 温泉も楽しかったですね。

新内さん 男の子は男の子でお父さんたちとか先生達が入れてくれて、またそれは大変だったんでしょうけど・・・女の子も、お母さんと女の子で入ったお風呂はなかなかにすごい女子会でした。

深瀬さん ちょうど私達だけしかいなくて貸し切り状態の露天風呂が満杯になるような感じで。ちょうど柵を隔てて男風呂の露天もあったみたいで声が聞こえてきたりして。「隣でうちの子も入ってる」っていう・・・なんかねそういう感じが楽しかった。まさかキャンプでこんなにお風呂もゆっくり楽しめるとは思えなかったので。

新内さん そうですよね~

深瀬さん お陰様で昼の山登りの汗を・・・

新内さん 汗もしっかり・・・ リフレッシュできましたよね。

深瀬さん 風呂をあがってからもみんな思い思いにアイス食べたり、ジュース飲んだりっていうまったりした時間を味わえて。

新内さん 今回はプチ女子会があったりなんかこうお楽しみ要素がたくさんでしたね。天気がほんとに悪くて大雨だったんですけど、みんなそこはあまり気にならないぐらい楽しかったですよね。夜は夜で盛り上がり…

深瀬さん 子ども達がほんとに早く寝てくれたので、すごいなっ、私達の時間だって。

新内さん もう10時前には全員寝てましたよね。

深瀬さん そうですね、寝てましたよね。お父さんたちもお父さんたちと他のお母さんたちで部屋に集まって、普段話せないような話をしたり・・・

新内さん お父さんも、その夜だけに駆け付けてくれたんですよね。

深瀬さん そうなんですよね。ちょうど子ども達が寝るタイミングで来てしまって、今部屋に来ないでね、起きたら困るからって。お父さんも楽しかったってことでした。夜だけですけど。

新内さん お父さんたちで集まるってことがなかなかないので、お父さんはお父さんの話をしていて結構熱く語っているお父さんとかもいて・・・

深瀬さん 普段話せないお父さん同士が、会ったことないお父さんが初めて会ってお話したりとか・・・それはそれで私達お母さんと違う繋がりが持てたんじゃないかなと思います。

新内さん 私もその会にちょっと参加したんですけど、お父さんたちもやっぱり子育てにどうやって参加しようとかいろんな悩みがあるんだなっていうのがその時にすごく感じましたね。

深瀬さん うちの旦那も参加したんだけど、初めはどうしたらいいかわからないっていう感じだったのでそれでちょっとずつ行事などに行く事で馴染んでいくのかなっていう風に感じました。

新内さん そうですよね~。うちのパパはキャンプはちょっと行けなかったんですけど夏祭りの時に参加してて。焼き場はみんなお父さんが担当で、その焼き場で先輩のお父さんと深い話をしてしまったっとか言って。内容は全然教えてくれないんですけど。それはお父さんたちの秘密だとか言って。どんな深い話だろうと思うんですけど(笑)やっぱりお父さんたちの輪っていうのもすごく大切というか。子ども達もそれで打ち解けていい感じができてましたよね。


行事で頑張ってくれるお父さん達


新内さん これから秋はやっぱり、秋の行事としてマラソン大会とか運動会とかありますよね。10月14日に豊平川の健康マラソン大会というのがあってそれにみんなで行事として参加しようっていうことになっているんですけど深瀬さんのお家はどなたか参加されるんですか?

深瀬さん 去年が初参加、2年生で初参加で私が子どもと3㎞走ったんですけど、今年はお父さんが自分から「俺走る」って言ったので、じゃあやってもらおうと思って。

新内さん やる気ですね(笑)

深瀬さん そうですね。私としては途中子どもがグダグダになったときにお父さんが見れるのかとかいろんな不安はあるんですけど、そこは父親としてこれから頑張っていかなきゃならないのでまずはマラソンから・・・

新内さん 男の子だからね。大きくなったらお父さんの力ってすごい大事ですよね。

深瀬さん そうですね。どうしても必要になってくると思うのでそこは本人も自覚してますね。夜な夜な、普段ウォーキングは夜やってるんですけども、マラソンに向けて走ってます(笑)

新内さん すごーい、お父さん本当にやる気ですね。

深瀬さん なにせ運動不足なんで。3㎞とはいえ普段まったく運動してないのでちょっとずつちょっとずつ。倒れないように・・・

新内さん そうですよね、運動会とかでよく張り切ってアキレス腱切る人とかいますからね。

深瀬さん 怪我されたら困るのでそこは本人も自覚してるようで、ちょっとずつやってるようです。

新内さん そうなんですか。でも実は深瀬さんのお父さんの走る噂を聞いて、うちもパパが走ることに決めまして。

深瀬さん 去年もお父さん走ってましたよね。

新内さん そうですね。そのときは私が足が痛くて、走れないって言ったらしょうがないなって感じだったんですけど、今年は深瀬さんのお父さんに触発されて「じゃあ深瀬父が走るなら俺も頑張ろう」っていうことになりました。また、お父さんたちも会えるのを楽しみにしてますね。

深瀬さん 普段お父さんてお仕事してるし、行事でしか顔を合わせないと思うので、やっぱりそこで会ってお互い3㎞達成感を持って頑張るっていう。

新内さん お互いに「よし、やったぞ」という最後、何かあるといいですね。

深瀬さん 子どもはもちろんね、頑張って達成感を感じてほしいんですけど、お父さんとしても子どもと何かやるってことなかなかないので、ほんとにいい機会だなって思います。数少ない行事だから、お父さん同士もそこで少し話すだけでもやっぱりね、キャンプに続き親交が持てたらいいなっていう感じですね。


みんなの応援の中で、感動的なゴール!


新内さん むぎのこに来てから、私もいろんなこういうおおやけの機会があって。自分の子が障がいを持っているのにマラソン、しかもこういう大会に出るなんて。全然自分では考えもつかないようなことを、みんなで一緒に出て、みんなもやってるから自分たちも頑張れるっていう力を貰って、こういうことにチャレンジするっていう・・・ほんとに信じられないことばかりで。

深瀬さん そうですね、むぎのこに来てなかったらマラソンに出るなんて考えられなかったと思います。去年初めて参加してみてうちの子は最初走ってたんですけど、私のほうが走れなくなってしまって途中歩いてるって感じだったんですけど。結局ビリから2番目くらいの最後のほうだったんですけど、みんなで応援してくれて待っててくれて、そこに子どもと一緒にゴールするっていうのがこう、感動的でしたね。泣きそうになりました。

新内さん ほんとドラマを見ているかのように・・・

深瀬さん 去年はたくさん歩くとか、挫けてしまう子だったんですね。途中で大丈夫かなとか不安を持ちながらいたんですけど、全然なんてことなくこなしたので。実は途中泣きながら走ってたっていう・・・親が(笑)ゴール付近にみんないるので頑張ろうって感じで。

新内さん あの、お父さんお母さんも子どももみんな一緒になって最後ゴールで応援していて。私も実は深瀬さんのお子さんがゴールした時は号泣していましたけれども・・・

深瀬さん なんかこう、たった3㎞なんだけど、その3㎞の中にすごいいろんな思いが駆け巡るっていう・・・

新内さん そうですよね。あの小さかったこの子がここまで頑張ってるっていう、本当にあれはなんでしょう・・・感動だよね。

深瀬さん コース途中ですれ違ったり、折り返し地点ですれ違ったりするんだけど、みんなで声を掛けあって子どもも大人も声掛け合って走るっていう、なんかこう励まされて気分よく走れましたね。

新内さん すごく充実した達成感を得られるし、ひとつ大きくなれる、成長できるものですよね。

深瀬さん どんな子も走り終わったあとの清々しい顔が印象的で。うちの子もゴールの後は「なんてことないよ」って顔してて。なんだやれるじゃんっていう。親もこの子出来るんだっていう次の自信に繋がって、なんでも諦めなければできるっていう事を、身を持って感じれましたね。

新内さん そうですよね。今年も、一緒に頑張りましょう。

深瀬さん そうですね。

新内さん あ、でも応援する側ですよね。

深瀬さん はい、応援して。

新内さん なんか打ち上げとかできたらいいですよね。

深瀬さん そうですよね、終わったあとにね。

2013年9月6日

失敗も喜び体験になる! むぎのこの運動会

総練習でも感動の運動会前日 


園 長 今日は朝とってもお天気が良くって、ラジオ体操毎朝してるんですけどその時は秋なんですけど暑い感じの日差しでした。仕事に行く頃には雨が降り始めたという・・・変わった天気ですね。

古 家 おはようございます。そうですね、今日どんな一日になるんだろうこんなに晴れてって思ったら今出てきたら雨が降ってたので、ちょっと驚きましたね。

園 長 天気予報はこの頃当たりませんね。実は明日むぎのこの運動会なんですけれども天気はどうなるのかちょっと、これで心配になりましたね。

古 家 あまりの変わり様でちょっと気になりますね。

園 長 ね、女心と秋の空っていう・・・

古 家 私は男心と秋の空って覚えてました(笑)

園 長 そうですか!?

古 家 はい どっちが正しかったんだろう?

北 川 あれ?っていう感じですけど(笑) どちらでも秋の空は変わりやすいということですね。

園 長 ただ昨日は一日天気が良くって、総練習をむぎのこのすぐ近くの日の丸公園でさせてもらいました。でも、昨日の夜もまた雨降ったんですね。夜に雨が降って日中が天気が良いってのが最高ですけども、なんか本当にどうなるかって感じですね。

昨日は暑くて、ばばばあちゃんも日焼けしたということで・・・

古 家 総練習で帽子も被らず半袖で過ごしたら首のところが真っ赤になってしまいました。腕もかなり日に焼けましたね。

園 長 昨日はある意味運動会日和でしたね。子ども達もすっごく運動会楽しみなんですよね。

古 家 そうですよね。リレーでバトンをタッチする時の、そのバトンをもらうのに「嬉しい嬉しい、早くバトン持ってきて」っていう年長さんがいて、ほんとに感動しましたね。

園 長 ほんとに小さい2歳代の子ども達もお母さん目指して一生懸命走ってきましたね。本番の運動会ではないのだけれど、なんかやっぱり一瞬一瞬感動させてくれるっていうか・・・

古 家 えぇ、えぇ


お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、みんなで支える


園 長 むぎのこの運動会が一般の幼稚園保育園と違うところは、お母さんもしくはお父さんも一緒に全部参加するということです。

古 家 あの一生懸命走ったその先にお母さんがいて、お母さんがよくやったねって抱っこしてくれる、それがご褒美っていう運動会ですよね。

園 長 お母さんが応援してくれるっていう。お父さんお母さんがほんとに間近で、走った先には抱っこしてくれて育んでくれる。運動会そのものが子どもの育みになるような、お父さんお母さんとのいい思い出になるような、記憶に残るかどうかわからない時代なんだけどしっかり見えないところで心の宝になるような、そういう運動会にしていこうというふうに思ってます。必ず何か達成した先にはお母さんがいて抱っこしてくれるという。

古 家 あと年長さんの竹登りですね。竹の先にタンバリンがあるんですけどそこに登って行ってタンバリンをパンと叩くんです。その時に空に向かって登って行く。そしておじいちゃんおばあちゃん、もう100人以上の人たちが注目してみんなに見てもらって主人公になる。

それで、できたって事をほんとに多くの人から、その子だけに集中して目がいって、みんなに褒められてよくやったねっていう。この視線を受けて、それでやってよかったっていう気持ちを子ども達にもってもらいたいなっていうことでやってるんです。感動的ですよね、いつもその場面は。

園 長 そうですね、それは年長さんの種目ですね。2歳児から発達に合わせた、一般的にいう障害物競争みたいのを先生方が一生懸命種目を考えます。赤ちゃんだったらハイハイしてゴールとか、少し歩けるようになった子たちは歩いてお母さんたちのところに行って滑り台を登って滑り台を滑ってゴールとか。

3歳代くらいになると低い平均台を登ってジャンプしてゴロンしてゴールとか。4歳になると高い平均台ですよね。高い平均台を挑戦して登ってジャンプして、それから梯子を登ったりもしますね。5歳児になると今ばばばあちゃんが言った竹登りですね。

34年在園しているむぎのこの年長さん達を見て、年長になったらあの競技をするという憧れをその下の年少、年中さんは持ってますよね。お母さんもお父さんも来年は竹登りだっていう、それを待って年長さんを迎えるっていう感じはありますよね。

古 家 その竹はお父さんが支えてますよね。その障がいがあっても発達の筋道っていうのが運動会を見ていたらはっきりわかりますよね。

園 長 障がいがあるからやらないとかいうことではなくて、やっぱり3歳、4歳、5歳、6歳、その年齢にあったプライドがあるのでね。そのプライドに合わせた競技を先生方が一生懸命作ってます。もちろん竹登りなんかは一人でスルスルスルッて登って行ってパンってやる子もいるんですけど、先生方の手が、竹の節目、節々を支えることで上に登って行ける子もいてそれでいいんだみたいな。

その子どもにあった介助をしてそれでいいんだ、ただ、その子どもの出来るだけの力は発揮してもらう、そういうことですよね。

古 家 そうですよね。だから毎年難病のお子さんもいるんですけど、職員とかお父さんとかお母さんの支えで達成できて、そのときのお父さんとお母さんとかの表情は本当に嬉しそうですね。うちの子どももやれたんだっていう。

園 長 普段車椅子に乗っていて肢体不自由があって、竹登りなんかは本当は自分の力では難しいんですけど、それはおんなじ6歳なので一緒に挑戦しようということですね。多くの職員の手で安全を守って、肢体不自由のお子さんも高い竹の上のタンバリンをパンて叩くっていう経験をして年長の運動会を終わるというふうにしてますね。

これはお母さんが言ってたんですけど、一生のうちでもしかしたら、うちの子がこんなに高いところに登るのは最初で最後かもしれない、なかなか地上の高いところに登るっていうのは難しいので、山登りはまた別ですけど、最初で最後かもしれないっていうふうに涙したお母さんもいましたね。

古 家:そうですか・・・

園 長 今年はまた何名かの肢体不自由のお子さんも竹登りに挑戦するということで、看護師さんもいたりお医者さんもいたり万全の体制を取って事故のないように、本人がやれたって思えるような体制を取ってきたいなというふうに思ってるんです。

運動会そのものはほんとうに子どものフェスティバルなので、子どもが主人公で王様でそこで輝ける。そういうことはほんとうに年に1回。おじいちゃんおばあちゃんも来ますからね。

古 家 そうなんですよねー

園 長 私達も楽しみだし、やっぱり子ども達もほんとに楽しみにしてるって感じで、力入ってますよね。

古 家 意気込みっていうかね。ぼくもやるんだっ!! ていう。

園 長 それでもう、ぜひ、天気も良くなって・・・

古 家 そうですねー、それはほんとに。てるてる坊主でなんとか・・・

園 長 緊張のあまり不安になるお子さんもいますが、その話はまた後半にしたいと思います。


失敗も喜び体験になる運動会に


園 長 運動会ですが子ども達はとっても楽しみにしていますけども、不安で泣いちゃう子もいないわけではないですよね。それについては、どうですか、ばばばあちゃんの経験からいうと。

古 家 見た目はふざけてたり、何を考えてるかわからないような子どもでも、内面はやっぱり自分が「できるかな、できないかな、できなかったらどうしよう」、そういう気持ちがありますね。

そのときにお母さんって「え?! 練習の時やれたのにもうやれないの?!」みたいな、すごい気持ちになってしまってお母さんも落ち込む事が多いんですよね。だから私は「やれない自分もその子なんだよ、やれない気持ちも大事だよ、みんなで応援しよう」って前もって伝えてます。

ほんとは本人がやれるのは大人は知ってるんだけど、気持ちがやれない時は、そのやれない気持ちをやれるように手伝って、「今日もやれるから一緒にやろうよ」っていう、そういう態度が職員側に大切なのかなっていうふうに思ってますね。

だから、もしそのとき自力でできないまま終わったとしても、何年か経った後に「あ、あのときみんなに応援してもらってやったな」っていうね、そういう心の中に支えてもらったっていうそういう記憶が残るんじゃないかなって思いますね。

やれるかやれないかが重要じゃなくて、「自分が困ったときに支えてもらった」っていう記憶が一番大事なんじゃないかなって思うんですよね。一生懸命やれておもいっきり走るのもカッコよくて素敵だし、できないときに大人に支えてもらったっていう記憶も同じくらい大事だなって思ってるんですよね。

園 長 うーん 哲学的な話になりました(笑)

古 家 そうですか? 昔だったらこういうことは喋らなくても、なんか普通の習慣としてやってたんじゃないかなって思うんですけどね。

養老孟司さんと宮崎駿さんの対談集を読んだら、だいたい今の60歳くらいまでがそういう暮らしで、50代の人たちはそういう習慣化がされてないんじゃないかなっていうお話が載ってましたね。

園 長 やっぱり、そのやれるかやれないかっていう文化の中で50代以降は生きてるのかなって思うんですよ。

古 家 そうかもしれませんね。

園 長 かっこよくやれたっていうのはいいことだけど、崩れてしまって泣いてしまったってのは悪いことみたいな。そういうことは60代にとってはそうじゃないのが普通ですか。

古 家 そうですね。できなくってあたりまえのような。できる人って少ないから・・・ うん。

園 長 それがなぜか、私は大事にされたっていう感覚に繋がらないような子育てが広がってきてしまったんですね。

古 家 そうなんですねー だからそのね、宮崎駿さんも書いてたんですけど脳のギャップがあるって。

園 長 宮崎さんは70歳くらいでしたっけ?

古 家 72歳ですね、ちょっと前に引退宣言したんですけどね。だいたいそこら辺をどのように伝えていったら良いのかなって。だからその違いに宮崎駿さんなんかも何年か前に気づいて、あまり気づかないまま生きてしまったって。

園 長 最近出た信田さよ子さんっていうカウンセラーの本「傷つけられる人傷つく人」だったかな?の中にも、家庭ってやっぱり拠り所で、100人が自分を責めても、親が大丈夫だって言ってくれたらその子の中に自信がつくっていうお話があったんです。

もう一つは、家庭そのものが子どもがなんか居心地の良い所が機能が健全な家庭だっていうのがありました。子どもが居心地が良くなくって、親もこうじゃないとダメって、さっきの、カッコよくできたらいいけど、泣いたらダメみたいな不安が家庭の中にもあって。ちゃんとしなさいとかが強くて、子どもにとっての居心地良くないような家庭になってきてるのかなって。社会の印象も含めてね。お母さんたちが悪いとかじゃなくて。

もう一つ書かれていたのは、遠慮しすぎて「肯定、肯定」っていうのじゃなくて、ちゃんとこれやったらいけないよっていう大人の目で、きちんと伝えることが肯定なんだ。あなたは大丈夫だって言ってあげるところと、それはできないよっていう否定の中にある肯定みたいなもの、その両方の力が弱くなってしまっている。世間の見る目で子どもを見て、子どもはプレッシャーだし、でもいい悪いもなかなか伝えられない、ということでした。

宮崎駿さんとかが生きてきたその「カッコいいのもいいけど、できなくてもそれが支えてもらった良い記憶、心地良い記憶になるんだ」ということを、なんとか運動会や、発達の心配のある子を応援してる私達が、若いお母さんお父さんに伝えていきたいですね。実践でね。ほんとに実践そのものなんですよね。言葉じゃなくって実践の場でね、泣いた子どもが元気になっていく姿、私達たくさん見てるのでね。

古 家 そうですよね。


園 長 支えで喜びに繋がるというね、そういう運動会に晴れたらいいなっていうふうに思います。

2013年8月30日

むぎのこ大キャンプ②・脳の発達には「ノー」が必要

250人の夕食作りはお父さん・お母さんの協力で


園 長 むぎのこを卒業して学校に通っている子ども達と、お父さん、お母さん達の盛大なキャンプがありましたね。場所は恒例の中小屋小学校(※1)で、午前中は道民の森などに行って活動したそうですが、総勢がまた250人くらいだったそうで。いかがでしたか。
 ※1 北海道石狩郡当別町の廃校をお借りして、学童の活動等に活用させていただいています。

深瀬さん 初めての中小屋のキャンプだったんで、いつもと違ってテントではなく学校にと泊まるということで子ども達もどうなのかなと思ったんですけど、学年ごとに教室があって、テントだとそれぞれ孤立する感じなんですけど、お互いに子ども達を見合ったりして、すごく充実してました。初めは海水浴に行く予定で、水着も着込んでたんですけど、急きょ山登りになりました。でも、特に変更で「ぎゃー」っていうこともなく。

園 長 自閉症の子ってそうですよね。自閉タイプの子どもって変更に弱いから、丁寧に育てなきゃってよく言われてますけど、小さい頃から安定してくると、少々の変更は全然平気ですよね。

深瀬さん 登ったことがない山だったので、どこがゴールかもわからなくてきつかったですけど(笑)。靴もうちの子は、海だと思っていたので、サンダルだったんですよね。でも意外にすたすた登ってて。

園 長 最近は山で熊が出ることが多いので、むぎのこでの山登りブームはおさまってるんですけどね。

深瀬さん 私も水着を着て登って汗だくでサウナ状態だったんですけど(笑)。水着脱ぎ損ねて服の中ドロドロだったんです(笑)

園 長 海は雨が降ってて、山は晴れてたんですか。

深瀬さん ほんとに晴れてるのかなって半信半疑だったんですけど。全然晴れてて暑くって。でも夜はみんな温泉にちゃんと行けて。

園 長 ご飯は外で食べられたんですか?

深瀬さん 高学年以上は、雨だったんですけど外にテントを張って食べました。

園 長 250人の食料って大変じゃないですか。

深瀬さん そうですねー

園 長 誰が作ったんですか。

深瀬さん キャンプ委員会の食事担当のお母さん達です。朝からびっちりで。焼いたのはお父さんです。3時ぐらいから私たちが登山してる間に一生懸命やってくれて。

園 長 お父さんは山には行かないで、焼き物をしてくれて、その間お母さん達が子ども達と活動してたんですね。

古 家 山に登ったお父さんも何人かいましたね。

園 長 雨が降って、急な変更もあって、それでも一生懸命やって充実してて、お父さん達お母さん達がご飯を用意して待ってるなんて、すごい協力関係ですね。昔のむぎのこキャンプといえば結構トラブルもあって、ちょっと嫌な思い出も無きにしも非ずの感じだったんですが(笑)。今のお母さん達すごいですね。

古 家 やっぱりね、文化が作られていったのかなって。みんなで協力してやるっていう文化がこの10年でできてきたのかなあって。

園 長 不満とか文句とか言う人少なくなりましたね。みんな楽しむ感じ。

深瀬さん ほんとは私も面倒くさがりなんで、「いやーめんどくさいな」と思って行くんだけど、でも行くと楽しいですね。

園 長 お風呂も何カ所かに分かれたんですよね。

深瀬さん はい、中小屋温泉と、月形温泉と、新篠津温泉です。親同士も連携とって、「私はこっち見るから、こっちはお願いね」っていう感じで。

園 長 やっぱりみんな子育ての知恵があるから、この子は一人でいられないとか、服が脱げないから、じゃあどうするみたいな。心の連携ですね。紙に書くんじゃなくて体でできちゃう。

古 家 そしてね、ちょっと難しめのハンサムなお父さんが、クラスにはそのお父さん一人しかいないとわかって私真っ青になったんだけど(笑)。でも他の職員やお父さんが手伝ってくれて、とっても楽しく温泉に入れたという報告も受けました。


上級生が下級生を支える場面も


園 長 実は昨日当別町の町長さんにお会いしたんですが、すごく喜んでました。温泉をそれだけ利用してくれたなんてって。麦の子会がいろんな意味で当別町に貢献してくれてるし、子どもがこんなにたくさん当別町に来てくれるっていうことが嬉しいと仰ってました。
 寝る時はどうでしたか。250人が寝るっていうのは大変なことだと思うんですけど。

深瀬さん そう思ったんですけど、私たちの学年の子は登山で疲れ切っていたのか、もう9時過ぎには静かになって。沢山いると「ぎゃー」てなることもあるかなと思ったんですけど、そんなこともなくびっくりしました。

園 長 障がいがある子とか、重たい子の場合は睡眠障害がつきもので、なかなか夜寝ないっていうお子さんがいるのがあたりまえですよね。中小屋パワーかしら。

古 家 中小屋って校舎が木でできているから、普通の学校の雰囲気じゃなくて癒される感じ。

園 長 雨が降ったから、高学年以上の子達もみんな中で寝たんですよね。

古 家 高校生達が「俺たち、どこで寝るんだ?」って聞いてきたから、「ごめんごめん、体育館にして」って言ったら、こころよく寝てくれて。

園 長 中小屋に小学校を作ってくれて有りがとうっていう気持ちですね。地域の子どものために作ったと思うんですけど、今は違う活用で生き生きと子ども達のために使わせてもらって、小学校も喜んでくれていると思います。

古 家 縦の関係、上級生が下級生の面倒を見るということもだんだん出来てきて。

園 長 この前のキャンプは普通学級通っている子ども達中心のキャンプだったんですけど、今回は割と障がいの重たい子のキャンプなんだけども、やはりそういうつながりってあったんですか。

深瀬さん みんな助け合ってって感じで、大変な子がいたらみんな走って行って、お互いに見合ってて、自然にできてた感じがします。

園 長 お互い非難せずに! なんて素敵なんでしょう(笑)

古 家 年長さんも何人か参加したんですけど、お父さん達も感想でまた来年も来たいですって。

園 長 誰かを非難するのは簡単だけど、協力しあうのはほんとはすごく難しいことだと思うんですけど。

古 家 必ずトラブルってあるし、間違いってあるから。

園 長 でもそれを乗り越えて協力しあおうって。お母さん達素晴らしいですね。

古 家 そうですねー

園 長 そして、子ども達が寝た後、お母さんお父さん達のコミュニケーションタイムですよね。

深瀬さん うちのお父さんはお仕事だったので、その夜のためだけに来たって感じでしたけど(笑)

古 家 でも、他のお父さん達を和ませてくれて。

園 長 過去に悪さをした事も、他のお父さん達に話してくれたそうですね。

古 家 そうそう、そういうことを堂々と言っていいんだと。そういう感じで他のお父さんとも仲良くなれて。昔ってスネに傷を持っている人が必ずいるって言ってたけど、生きていくってそれぐらい馬力がないと・・・

園 長 いま社会で立派に貢献して生きているお父さんたちが、中学生、高校生の時はかなり暴れん坊だったという話をできたんですね。それは逆に勇気もらえますよね。その時「悪い」っていうんだけじゃなくて、長い人生の中そういうエネルギッシュなこともあるけど、ちゃんと一生懸命、家族と子どもと社会のことを考えて働いているお父さんがいるっていうことですよね。


里親ファミリーホーム全国大会でのお話


園 長 先日名古屋に出張に行ってきまして、そこでは里親ファミリーホームの全国大会がありました。前から知ってはいたんですが、そこで出会った慶応大学の小児科のお医者さんで、渡辺久子先生っていう方のお話がありました。

もう古家ばばばあちゃんそっくりなことを言っていて、すっごくおかしかったんです。子どもっていうのはお母さんの思うとおりにはなかなか育たないっていう話をさんざんしてました。人間の赤ちゃんはある意味大変なエゴイスト。実際お母さん達が育児をやってみたら大変。女の人は特にですけど、身にしみてわかってると。育児は大変だと心の中で思ってるだけではなくて、いろんな人に助けてもらわないとだめだ。

ダニエル・スターンさんという人の言ってたことで「子育てするのはオーケストラだ。その子のためにいろんな人が音を奏でて、それでその子が成長する。個人プレイでは子どもは成長しない。」って。

あと、絶対赤ちゃんはむずがると。むずがる時になにが起こってるかというと、脳神経系がぐーんと発達するらしいですね。むずがったら「だめだ」って言われることが多いでしょ。それでお母さんはカーッとなったり、自己嫌悪したり、失敗して自分がだめなのかなーって思うんだけども、実は赤ちゃんというのはむずがることで発達をとげるんですね。

お母さんが悪い子どもが悪いっていうことではなくて、脳が健康に発達するプロセスの中に、このむずがる時期がきちんと組み込まれているそうなんです。だから、どうしてもカーッとなったり、その子を攻めたりしちゃうんですけど、そうではないっていうことをお母さん達に知ってほしいなあって言ってました。

そしてそういうことを通してお母さんの脳も発達するっていうことで、私もそこでピーンときたんだけど、子育てって、ただ子どもを育てるだけじゃなくて、お母さんも発達するんだなあっていうこと。これはばばばあちゃんもよく言ってることですけど。

古 家 私が言ってるんじゃなくて、私の母親とかばあちゃんとかから伝承されて覚えたことなんですけどね。でも私の次の世代になると理屈で頭の良い子に育てようっていうふうになってしまって、あまり伝承ということがなくっているというのが現代の子育てかなって思います。


思春期は心の鉢替えの時期


園 長 思春期の話もしてました。赤ちゃんって力がついてお腹の中で胎動して生まれるときは思いっきり自分で出てこないといけないでしょ。その力があってこの世に誕生するから、第二の誕生の思春期も思いっきりまたキレる。親に反抗して、それがあって親を超える自分になるっていう話でした。

いままでの植木鉢を根っこで破るほどの力を子どもは思春期に持つから、そして根っこを張らないと生きていけないから、親の植木鉢を大きくしなきゃいけないと。でもそれには嫌なこといっぱい言われて。でも嫌なこと言われるその時期にまた脳が発達してる、というふうに脳科学で説明してくれてました。

昨日むぎのこブログにも載せたんですけど、中学生の女子会をしたんです。ひと組の子どもとお母さんがすごいバトルしてて、子どもはお母さんに文句があるっていうことで。お母さんはつらいって言ってきたのでみんなで話し合おうって。

それで、その子の言うことすごく素晴らしくて。お母さんがお父さんの文句を私に言うと。そしたら、私の血の半分はお父さんなんだから、私も「だめだ」って言われてる気がして「それが嫌なんだわ!」って。それでお母さんが私に「だってあんなだんなのこと、子どもは知らないからあんなふうに言ってるけど」って。

私がそこで「まあまあまあ。お母さんの気持ちは分かるけど、子どもはね、そう言われたら嫌なんだっていうこともわかんないとけないんだわ」って。夫の悪口とか嫌なことを子どもに愚痴らないで、やっぱり仲間お母さん同士で愚痴っていかないと、自分のストレスの垂れ流しを子どもにしたら子どもはつらいんだなあって。

娘って母の愚痴を聞きがちなんだけど、それって後から子どもが大きくなったときに、なかなか生きるのがつらくなったりするんだよね。それを私たちが言わせたんじゃなくて、子どもから言ったんですよ。「私が否定されてるみたいで、生きるの嫌になるんだわ」って。すごかったですよ。

古 家 ほんとに思春期にそんなこと言えるなんて、いいなあって思いましたね。

園 長 きちんとした積み重ねで大人になるんじゃなくて、ちっちゃい時はむずがったり、思春期もキレたり、そして親も一緒に育てられるっていう子育ての方向性を、慶応大学の渡辺先生も言ってくれてました。そういうことが少しずつできたら、子どももお母さんも楽になるなあってあらためて思いました。


2013年8月23日

むぎのこ大キャンプ①



旦那さんのハチャメチャのおかげで・・・


古 家 今日のゲストは深瀬さんです。こんにちは。

深瀬さん こんにちは。

古 家 深瀬さんはむぎのこに来てから何年経ちましたっけ?

深瀬さん むぎのこに来てから7年経ちました。

古 家 もうそんなに経ったんですね。
最初に会った頃はね、なんか控えめな方で、どのように声をかけていいのかなーって。深瀬さん、深瀬さんって言ったら「どうしたんですか?」って言われそうな感じがして(笑)

深瀬さん 第一印象はそう言われますね。ほんとは全く真逆です。

古 家 そうだったんですよねー。むぎのこには息子さん何歳の時来たんでしたっけ?

深瀬さん むぎのこには210ヶ月の時です。

古 家 そうでしたねー。それで3年くらい経ってやっと普通に声掛けれたんですよ。私、美人な方でちょっとツンツンした方に弱いので(笑)。なかなか私から気さくに話しかけれなくって。人見知りなもんだから(笑)。

深瀬さん 私も人見知りでしたね。

古 家 それで付き合ってみたらびっくり仰天ていう。特に旦那さんに会ってからまったく印象が変わってしまって。すごく深瀬さんには気を使ってたのだけど。失礼な事言わないようにって。だけど旦那さんに会ったらもう失礼なこと言っても全然構わないなーと。もう旦那さんがハチャメチャで。お食事会やった時に、旦那さんの若い頃の田舎でのハチャメチャなやりっぷりを聞いて、「えーっ!こういう人と一緒に暮らしてるんだから、肝が座ってる人なんだな」って思ったんですよね。それからは全然気も使わないで話せるようになりました。

深瀬さん 食事会がいい機会になって。私もなんか気を遣わずに話せるようになりました。

古 家 旦那さんのお陰ですね。

深瀬さん そうですね。

古 家 やっぱり世間ではそういうふうに地を出さないでいたんですね。なるほど、田舎の人じゃないもんね、深瀬さん。

深瀬さん そうですね(笑) 札幌なので。

古 家 札幌の人って何代前から住んでるかわからないけど、私も田舎から札幌に出てきた時に「あれ?札幌の人って違うな」って思ったんですよね。で、私は田舎育ちだからなんていうのかな、飾ること知らないっていうのかな? でも札幌の人たちって飾ること知ってるんだって。

深瀬さん 通園時代はそんなに地を出さずにいましたね。

古 家 そうだね。だけど旦那さんが色々話してくれたっていうか。

深瀬さん 地を出さないと疲れるなって。

古 家 逆にね。


恵み多き夫婦関係


深瀬さん そうですね。地の通り生きたほうがどこでも楽かなって思って。なので今すごく楽ですね。

古 家 じゃあ肩こりも減ったんですね。

深瀬さん そうですね。

古 家 なんか筋肉も硬い感じだったから。筋肉が和らいだ感じに(笑)そして息子さんも小学校に入って。在園時はほんとにまわりに関心持たなくって、何をやるにも泣いてたけど。卒園してお母さんがざっくばらんになってから息子さんの方も・・・

深瀬さん そうですね、地を出してくれるようになりました。今ははっきり嫌とか、好き嫌いがわかるようになって。親が地を出さないと子どももそうなんだなってわかりましたね。

古 家 そうなんですね。深瀬さんとしては、旦那さんは恵み?

深瀬さん 感じたことはないんだけど

古 家 これすんごい恵みだなって。

深瀬さん でも通園時代は夫の仕事も忙しかったのでむぎのこに関わることが少なかったんですけど「子どもも大きくなるにつれて大変なので、男親も必要だよ」と話しをしてからむぎのこに関わるようになってからは、やっぱり変わってくれたかなと思いますね。

古 家 そうなんですね。夫婦関係ってね、私この年になって思うんだけど、結構男の人の方がこういう素敵な女の人と結婚出来て、なんか奥さんに結構遠慮して暮らしてるっていうか、そういう人かなりいるなって思うんですよね。だけど奥さんが勝手なことやったり、ドジなことやったりして「あ、なんだー」ていうか、そういう風になると旦那さんの方も気が楽になるのかなっていうかね。

「世間で恥ずかしいことしないで!」ていうような奥さんからのプレッシャーみたいのがあると旦那さんも大変なのかなっていうか。だからそういうふうに気の流れが良くなって助けあえるなんていうのは羨ましいですけどね・・・ なかなかそういうご夫婦いないので。まあ、いろんなことはあるにしても、心の支え合いっていうか、そういうところでは素晴らしい夫婦だなって。

深瀬さん ありがとうございます。

古 家 深瀬さんをこの地上で必死になって生きざるを得ないように仕向けてくれた旦那さんと息子さん、とても素敵なんだけど。恵み多き夫だなって。

深瀬さん そうですね、大きく人生を変えてくれました。


子どもも私も一緒になってはじめてのキャンプ


古 家 息子さんとはむぎのこに来てからどうでしたか?

深瀬さん むぎのこと出会ってなかったらと思うとちょっと考えられない、そういう気持ちですね。いろんなこと、登山とかスケートだったりスキーとかも・・・そこまでやれなかったかな。二人だけでいたらやらなかったことを、やってなかったかなと思うような事をたくさん経験したなって。

古 家 そうですか。

深瀬さん 自分もぜんぜんアウトドア派じゃなかったので、年をとってアウトドアな活動をすることになって、最初はクタクタだったんですけど慣れるんですね。こんなに日焼けするとは思わなかった(笑)

古 家 母子通園して息子さんと一緒に遊んで日にも焼けて。会った頃はほんとに美しく、お化粧で綺麗にしてたんだけど(笑)

深瀬さん 海もこんなに行くんだっていうくらい。「砂遊びでも汚くなるし、海なんてっ!」て思ってたんですけど(笑)

古 家 都会の人って砂遊びもしたことないって人が多いですからね。

深瀬さん いろんな経験を親子共々させてもらって。ほんとに今後もそうだと思うんですけど。

古 家 その深瀬さんが息子さんが年少の時にむぎのこの主催のキャンプに行ったんですよね。

深瀬さん そうです、初めてフリースクールのキャンプに参加させてもらって。

古 家 それはどこでしたか?

深瀬さん 滝野です。キャンプ自体もしたことがなかったので「キャンプ? えー? やだー!」って。暑いからやだって。そんな感じだったんですけど、もう行ったらすごい楽しくって。一年目の年少の時には上の子もいたので行けなかったんですけど、小学一年生からは一緒に泊まるようになって。テントで子どもが寝れるのかなって心配はあったんですけど。子どもは外でも楽しそうにしてました。子どもが楽しいと親も嬉しくなるんですよ。楽しかったです。

古 家 子どもが楽しいと親も嬉しくなるというのは名言ですね。キャンプ自体に対してはどうでしたか?

深瀬さん 去年三回目で初めてキャンプ委員をやらせていただいたんですけど、準備の大変さと、初めて行った時にはすごい人数とテントの数でびっくりしちゃいました。

古 家 去年は260人ですからね。

深瀬さん そうですね、びっくりして。この準備に初めて携わったんですけど、ほんとに大変の一言でした。子ども達が安全に過ごすための準備ということで、このお母さんたちお父さんたちの力ってほんとに大きいなって。


脈々と続けてきた親と共に創り上げる文化


古 家 そうですね。このキャンプっていうのはむぎのこ職員が主体じゃなくって、お父さんとかお母さん達が主体なんですね。むぎパパキャンプとも言われていて、お父さん達が大活躍する、そういう場面がたくさんあって、むぎパパの会長さんが中心に取り組んでるキャンプなんです。お母さん達が実行委員を組んでそれで全部準備してるんですよね。

深瀬さん はい、夜遅くまでかかって資料作って、配車も11台組んでっていう作業で、一人一人この子とこの子はどうだとか考えながら、一人残さず組んでいくっていうのがすごいなって。

古 家 そうですね。やっぱり障がいがある子どもが普通にキャンプするって大変ですよね。眠れない子もいれば多動な子とかもいて迷子になってしまう。そういう危険性が十分にあるわけだから夜中も順番に一時間おきに見回りしたり。

深瀬さん 警備も配置も一晩中ですね。そういうことも通園時代にまったくわからないで来てたんですけど、自分でやってみてここまでしないと安全に過ごせないんだなって。それでも年一回のキャンプって子ども達も楽しみにします。キャンプでこれだけの人数で行くってことはなかなかなか経験できないので。

古 家 そうですね。家族だけでは行けない人たちもいますよね。子どもを家族だけでは面倒見れないっていうこともあるので。今キャンプの資料見てるんですけど配車56台ですね。バスも2台ですか。ほんとに大所帯で毎年安全に過ごせてるのは奇跡に近いんじゃないかな。

深瀬さん達のように年長さんの時はやってもらう側、3年生になったら委員になってキャンプをみんなで創り上げる側に立って、職員はバックアップの方に回る。そいうことがずっと脈々と続いてきてそれを文化にしてきたこと。それから、職員がやったからできたというのではなくて、お父さんとかお母さんが、子どもに障害があってもこの子どもを楽しませてあげようっていう心がこれまでこの大きなキャンプをずっと成功させてきたんじゃないかなって思いますね。お父さんお母さんの力があってこそね。

深瀬さん ずっと繋げていかなきゃならないなと思ってます。

古 家 最初のフロンティアの人たちっていうのは私達と一緒に創り上げてきたんですが、よくわからないからトラブルもあったんです。でも事故があったら続けられなかったと思うんですよ。事故もなくこんな風に続けてこられたのはほんとうに恵みだなって思いますね。

北川園長が大学卒業してすぐに教会を借りて少人数の子どもをみて、その時からずっと「障がいがあっても助けあって地域で普通に暮らすんだ」っていうミッションでぶれないでやってこれたこと、このことにお母さんお父さんが賛同して一緒に作り上げてきた結果、今週の土日のキャンプにつながってきてるんだなって思います。

2013年8月9日

夏の職員研修合宿と熊谷晋一郎さんの講演会

なかなか電話つながらなくてゴメンナサイ。吉泉さん。


札幌村ラジオ 吉泉さん(以下吉泉さん) この時間はむぎのこにこにこラジオをお送りしております。いつもですと北川園長をはじめとしまして古家ばばばあちゃんなどお話を聞いてる訳でございますが、現在当別の中小屋小学校のほうにむぎのこの皆さんで行っているということでございます。

今日は電話出演ということだったんですが、ちょっと今電話がですね繋がらない状況になっております。大変申し訳ございません、内容を変更してお送りしております。何度か電話をかけているのですが。いつもは繋がる状況になっております。

それではまず、この時間はむぎのこのお知らせから参りたいと思います。社会福祉法人麦の子会むぎのこです。むぎのこは発達に心配のある就学前のお子さんに対して専門的な支援を行う施設でございます。

発達支援、相談支援、家族支援、地域支援の4つを柱にですね、お子さんの個性に合わせた支援を行っています。むぎのこ発達クリニックだとか、成人になってからにの支援も行っております。

では、電話がつながったようでございます。北川園長と電話がつながっているようですね。えー、北川さんこんにちは。

園 長 こんにちは

吉泉さん よかったです、つながって。

園 長 あー 良かったです。

吉泉さん 今当別の方ですもんね。中小屋。

園 長 そうです、中小屋小学校の方にいて。ちょっと雨でね。

吉泉さん いや~なんかごめんなさい。また雨になっている感じなんですか・・・

園 長 そうですねー でも時々やっぱり雨降ってもらわないとね。

吉泉さん あっ、そうですね~

園 長 お花とか作物とか・・・

吉泉さん 作物には恵みの雨ですもんね。

園 長 えぇ、そうですね。今日は中小屋小学校で、むぎのこの子どもの支援部門の職員さんが集まって研修をしてるんですよ。

吉泉さん なるほど、はい。

園 長 はい。50人以上集まって、1学期の自分たちで実践したレポートを持ち寄ってます。助言者の先生も6人か7人いまして、1グループ6、7人で7つのグループを組んで1人30分の持ち時間の1学期振り返りの勉強会ですね。

普段子ども達を支援してる専門家の先生方ばっかりなんですけど、やっぱりいつも現場で頑張って子ども達を支援してるだけじゃなくて、常に研修しながら支援を作っていかなきゃならないので今回は園をお休みにしました。

昨日今日と中小屋小学校でびっちり缶詰のように、どこにも行けず研修してます。今、その真っ最中でした。


熊谷晋一郎先生の講演を聞いて


吉泉さん 今日は雨、昨日もかなり蒸し暑い日だったと思いますけど・・・大丈夫ですか?暑さとか・・・

園 長 ええ、大丈夫です。昨日は熊谷晋一郎先生という東京の、東大の小児科の先生の講演をまず聞きました。それは中小屋じゃなく、札幌の教育文化会館で一般の人達も含めて、「浦河べてるの家」というところと共催で研修させていただいたんですね。「浦河べてるの家」は知ってる方は知ってると思いますが。

その先生は脳性まひの障がいがある方で、小さい時に「障がいは訓練すれば治る」と言われて10歳くらいまでひたすら訓練の毎日だったんですけど、やっぱり10年くらい経つと訓練で治るというのはおかしいんじゃないかってことになって。やっぱりそれは間違いだったんですよね。

本人自身がその健常者に近づいていくということで・・・ 近づかなきゃいけないっていうそのお母さんや社会の「障がいが悪くって健常者に近づくことがいいことなんだ」っていう中にいてすごく辛かったんだけど、やっぱりそうじゃないと。

障がいが治る治らないじゃなくて、やっぱり自分が障がいがあってもなくても自分は自分で生きてていいんだみたいな。それを見出していくまでにやっぱり時間がかかったんですよってお話してくれて。

私達支援する側だと障がいがある子どもとかね、やっぱりこう、少しでもよくするっていうそういう観点は大事なんだけど、そのことによって子ども達が、ダメな存在、自分はダメだから支援受けなくちゃならないんだ、じゃなくて、元気に前向きに生きるために療育が必要なんだとかね。そういうふうな思いでやっていかないとなんか多数派の目線になっちゃうっていうのかな、私達が。

一般の「健常者が正しいからそうしなさい」みたいな目線になっちゃうと、やっぱり子どもは辛いねっていう。子ども自体はほんとに一生懸命生きてるし素晴らしいんだよっていう観点で。同じことやっててもその先生方の持っている価値観によって子どもの人生がすごく左右されるんだけどっていうお話をしてくれて、大変勉強になりましたね。

吉泉さん いや~すごいいいお話ですね。

園 長 そうですね、本人の実体験っていうか、社会の考え方が、熊谷さんが小さい時は治すことがいいことだってなっていて、10年くらい経ったらいや、治すことはいいことじゃないっていう実体験がね。社会の考え方にに合わせていくだけじゃなくてやっぱり本質を常に考えていくってことが大事だよっていう、そういうお話でしたね。ちょっと難しい話になりましたね。

吉泉さん いやいや、すごいいいお話というかね、すごくためになるお話だったと思いますよ。

園 長:お母さんたちもその話を聞いてたんですけど、やっぱりそのお話を聞いて、なんていうのかな・・・自分がこう、社会に合わない子を持ってすごい自分がダメなんじゃないかなとか思ってしまいがちなんだけど、そうじゃなくて、社会に合う合わないじゃなくって、この子たちはまず素晴らしい大事な我が子で日本の子なんだって、そういう風に思えたらすごく楽になったって話をしてくれて。

吉泉さん ああ、いいですね、楽になったっていいですね。


子ども一人一人はやっぱ素晴らしいんだという立場で


園 長 涙してるお母さんたちもいっぱいいましたね。なんか責められちゃう感じがねいつもね、ああ自分がダメだからこうなんだわとか。そうじゃなくってこの子たち別に障がいがあっても素晴らしくて、何にも誰にも責められることじゃなくて、この人達なりの文化だったり生き方だったり考え方だったり感じ方だったりがあって、それが健常者の文化と規制しないで折り合いをつけながらやっていく、そういうお話だったんです。

確かにあれですよね、世界中いろんな文化があってそういう子と一緒に生きるときにやっぱりお互い理解しあうって大事ですもんね。

吉泉さん そうですね、それが一番ね。

園 長 障がいあるなしにかかわらず、ヨーロッパと日本じゃ全然違うしね。

吉泉さん いやぁほんとに違いますよね。

園 長 その違いをやっぱり理解しあいながら、そのヨーロッパに合わせろとかアメリカに合わせろじゃなくてね。脳性まひの方なんですよ。手とかあんまり動かなくってそれで小児科医で注射とかも点滴とかもうまくチクツとするんですよね。

吉泉さん ああ、そうですか。それは貴重な、いいお話聞けましたね。

園 長 やっぱり、いろんなことありますからね人間って。子育てもね。思い通りにいかないってこといっぱいあるんですけど、熊谷先生のお話の中ではその子一人一人はやっぱり素晴らしいんだっていうところに立っていかないと、せっかく持ってる宝物が開いていかないって。でもやっぱりそのためにはね、そう思える友達が必要だって言ってましたね。

吉泉さん そうですよね、ひとりではちょっとね・・・

園 長 で、その講演を受けて、いざみんなでまた勉強会をしてるっていう訳なんです。

吉泉さん ちなみに今は・・・ たまに賑やかな声が聞こえてきますけど・・・ 今は何を?

園 長 今はね、ワイワイ笑い声も聞こえてくるんですけど6グループに分かれて自分のレポートとか視点を書いてきたんですよ、一生懸命。それを発表してみんなと意見交換して。むぎのこの研修のいいところは「これだめだよ~」とか言うんじゃなくて「ああこういうとこ頑張ったね」「こういうところ良かったね」って。改善するとしたら「少しこういうところ気をつけたらいいね」みたいな。こういうこと気をつけたらもっと良くなるね、とかそんな感じなのでみんなやっぱり笑顔が溢れてますね。

吉泉さん 素晴らしいアドバイスなんかをされてるんでしょうね。

園 長 私はすぐお掃除することに徹底してるんですけど。

吉泉さん 今回は裏方の方に?

園 長 事務の人たちが裏方で、50人、60人もうちょっとかな、その分のお食事全部作ってくれたり、お掃除してくれたり・・・やっぱり裏方があって研修が成り立つのでね。

吉泉さん そうですよね、そして支えがあってですよね。

園 長 支えあいですね、常にね。

吉泉さん ああいいですね。ぜひまた今度、その参加者の感想聞きたいですね。

園 長 じゃ今度職員とかお母さんたちに札幌村ラジオのほうに行ってもらいましょうね(笑)それにしても、熊谷先生は若手の37歳の先生なんですけど、新しい時代だなって感じしましたね。


夏休みも大切な時間です


園 長 今日は休園ですけど、どうしても家庭で大変だっていうお子さんはむぎのこのでみています。夏休みに入るんですけども、やっぱり育児が大変だって方もいらっしゃるし、そういう場合は夏休みでもサポートしますよっていう体制は取ってるんです。

吉泉さん なるほど。それは非常にありがたいですよね。

園 長 夏休みと言ったってお母さんたちは、日々子育て奮闘しなくちゃいけない。かえって夏休みのほうが大変ですよね。

吉泉さん そう、ずっとね、お子さんいらっしゃいますので・・・

園 長 大事な夏休みなのでご家族でいい経験ね、海行ったり山行ったり旅行行ったり飛行機に乗ったり・・・

吉泉さん そうですね、大事ですね。今日はこのあとこの勉強会は何時くらいまであるんですか?

園 長 夕方まで勉強なんです。

吉泉さん けっこう長いですね。

園 長 今アレルギーの問題もあるのでアレルギーの先生もこれから、午後から来てもらってそのお話も聞いたりとか・・・やっぱりいろんなこと先生方も勉強しないと安全守るって事大事ですからね。

吉泉さん しっかり。そうですね。

園 長 子ども達の安全を守るのは基本ですからね。知らなかったで済まされないことですのでね。

吉泉さん 悲しい給食の事故とかありましたもんね・・・

園 長 前もって知識得ていかないとってとこですね。そのために普段ね、子どもと遊んでる先生方も研修いっぱいしないといけない。

吉泉さん わかりました。昨日今日と研修でお盆休みとかは?

園 長 お盆はお休みです。ショートステイっていうところだけは開いて8人ぐらいの子ども達が利用します。先生方もやっぱりリフレッシュしないと。

吉泉さん 年に何日間かしかないですもんね。

園 長 外国に行く先生もいるし、仕事を忘れて自分のケアって大事ですよね。

吉泉さん 北川さんご本人は?

園 長 私は実家が函館にありますのでJRで函館へお墓参りに行ってきます。

吉泉さん みなさんお盆休みってほんとに大事な大事なリフレッシュといいましょうかね、また頑張って欲しい感じでね。

園 長 2学期長いですからね、雪降るまで・・・

吉泉さん そうですね、12月まで・・・

園 長 そうなんです、夏は海にも行くんですけど12月になったらそりすべりですから。

吉泉さん そうですよね。あっという間に冬来ますし・・・

園 長 運動会もあるし、生活発表会もあるし・・・

吉泉さん 行事がたくさんありますね。

園 長 そうですね、運動会がひとつの山場ですしね。

吉泉さん ではそろそろお時間が来ましたので・・・

園 長 はい、どうもありがとうございました。

2013年8月2日

息子とのコミュニケーション・支えられる側から支える側へ

マラソンをショートカット!?


古 家 今日のゲストは鈴木さんです。鈴木さんはむぎのこ生活が長いのですよね。

鈴木さんは息子さんが三人いて、上の二人は自立して就職もして、そして末っ子のタケルくんが今スワンで働いてるんですね。しょっちゅう私に電話が来るんですよ。私以外の人にも電話いってるみたいなんだけど。それで、「怒ってる?」って電話が来て、「えーっどうして?」って聞いたら、「マラソンでズルしたから」って。

5月の豊平川マラソンで10キロ走ったんだけれども、途中の給水所あたりでUターンして戻ろうとしてたところをスワンの店長がみつけて「あー、何やってるんだ」って。店長とタケルくんは一緒に戻ってやり直しました。みんな10キロしか走ってなかったんだけども店長とタケルくんは13キロくらい走ったという、そういうようなことがあって。去年はズルやったのに早々とゴールしたのをみんなわからなくって入賞したってことだったんですよね。

鈴木さん そうなんです。後からわかりましたね。

古 家 そういうことするんじゃないよってきつく言ったら、「怒ってる?」ってそれからは電話来るようになって。それで私が「どうしたら怒らなくなるんだったっけ?」って聞いたら「10月のマラソンでズルしないで10キロ走ったら良いんです」っていうことで。

今どこにいるの?って聞いたら「家です」とか答えるんだけれども退屈になってきたときとかに、結構日曜日の昼間とかに電話来るんですけど(笑)。
今22歳ですよね?

鈴木さん はい、そうです。12月に22になります。

古 家 3年くらい前は、いつ、どこで、だれが、何をしたっていうのを話せなかったので。だけどいろんなことはわかっていて、漢字も読めて、字も書けてるんだけども、コミュニケーションがうまくいかなかった。それが、いつどこで誰が何をした、「昨日僕は、フードセンターでサイダーを買いました」とかね。そういうことを一日30回くらい練習して言えるようになったら、今度はその言葉に違う言葉を、英語を私達が覚えるように言葉をはめてきて、昨日僕はどこどこに行きましたとか、そういう風に話せるようになってきました。それで何年前から携帯電話を使ってるんでしたっけ?

鈴木さん ちょうど19くらいですね。

古 家 19歳くらいでお話が出来るようになったので、携帯電話も買ってメールのやり方も覚えて。そしたら今度は自分が言いたいことだけしか言えなかったですよね? 去年ぐらいまで。

鈴木さん そうですね。

古 家 それで私が、待って待ってって。今目の前で私が話してる間は話しないでよ、と。じっと待ってて待っててって言って、私が話してそしていいよ、タケルくん話してもってタケルくんが話して、そしてそれに私が答えたら、会話、電話で会話が出来るようになったのがちょっと前かな?

鈴木さん そうですね。私のところに電話がかかってきても「黒いTシャツ持ってきてって。」今朝の話なんですけど、「わかったよ、でも家に黒いTシャツ4枚あるんだけど、どのTシャツ?お母さんわかんないのだけど」っていったら何とかかんとかって書いてあるってアルファベットえを言ってなになにって書いてあるやつって言ってああわかったよっていう会話が、ほんと今朝なんですよ。何時間前かにできてすごい成長を感じたんです。今朝なんですよ。

古 家 そうなんですか。以前だと、自分の言いたいことは「Tシャツ持ってきて」それで終わりって感じだったんだけども。「どういうもの?」って聞いたら、自分でイメージしてそのイメージ通り言葉も言えるようになってきたんですね。

鈴木さん そうなんです。もう、今日朝の感激でした。



言葉の獲得にはものすごいエネルギー必要


古 家 そうなんですか。それってことばの獲得っていうかね、私も仮説ではそういうふうに言葉を獲得していくに違いないと。だからいつもお母さんたちにあきらめないで、あきらめないでって幼児期とか学童期に言葉が出なくっても内的言語は持ってるから、だから自信がでてきたら話せるようになるからあきらめないでって言い続けてきたんだけども。

 私がむぎのこに勤めて一番初めに出会ったのがタケルくん達でした。私も若い時から障がいの勉強をしてきたわけではなく、看護師だったから看護師からの視点で、タケルくん達に出会った時に、内的言語を持ってるってことをはっきりわかったんですよ。でも言葉を発するってものすごいエネルギーが要るっていうのかな、お年寄りになったらぼそぼそって喋るようにエネルギーが下がるから声も小さくなるし、また自分が言ってることにこう自信がないと話せないんだな人間って、ていうのことはタケルくん達に会って学んだことなんですよね。

 だからエネルギーがアップしてそして自信がついてきたら言葉も話せるに違いないという仮説は持ってたんだけれども、それを見事に実現してくれたのが鈴木親子だなって思います。
 私は出会ってからね、ほんとに実行するのを私じゃなくてお母さんとタケルくんだから私がそういうような仮説立ててサポートしても、実際に地球上で生きているのはタケルくんでありお母さんだからね、そういうように歩んでこられたのはすごい歴史を刻んできたなっていうか、そういう思いでいっぱいですね。

鈴木さん おかげさまで、たくさんの人達に支えられてきたっていうことがこれほど大きいことだとは思わなかった。一人だったら今おっしゃったような内的な力というのが信じることが出来なかったと思うのですよ。タケルはここまでしか出来ないというマイナスの捉え方しかしなかったと思うんですけど、たくさんの人が大丈夫だよって、できるからって支えてくれてやっと親が信じることが少しずつ出来るようになったっていうのが今の段階ですね。

古 家 やっぱり、世間一般の常識から言ったらこの子はそこまで話が出来るようにならないって言うかね。そういうのがあると思うんだけどもやっぱり常識を超えてタケルくんと一緒に生きてきて今あるのかなっていう風に思いますね。

 今話しを聞いててほんとに素晴らしいなと思ったんだけれど、「黒いTシャツ4枚あるけどそのうちどれなの?」って聞けたってね。「これかい?あれかい?それかい?」というふうにタケルくんのことわからないと思ったらそう聞くのが普通だと思うんだけど。

鈴木さん そうですね、私自分でよく言えたなって思えたんですよ。普段だったら言ってもわかんないでしょ?なんでそんな面倒くさい電話かけてくるの?みたいなはじめから拒否っていうか。どうせ言ったってわかんないでしょという思いがあったんですね。なんか今日は自分が落ち着いて普通の会話に近いものが出来たなって思ったんですよね。

古 家 それは何かあったんですか?



コミュニケーションの勉強と実際のコミュニケーション


鈴木さん 先日の土日なんですけど子育てとか子どもの接し方と言うような研修を受けたんですね。コモンセンスペアレンティングって言うんですけど、子どもについて頭文字をとってSCALEって習ったんですね。Sがサポート、支える、Cがcareのお世話をする、Aが愛、という感じのを習って、今まで何十回も聞いてるはずなんだけども、今までは言葉だけが入ってきたんですけど、これってどういうことなんだって考えたら、一緒に心を落ち着かせて21歳の男の子に急に話すって言ったらどういう事なんだろうって一瞬に頭の中に駆け巡った気がして、初めて普通に話しが出来たっていうか。自閉症とわかって19年経つんですけど、ここまでかかりました。

古 家 そのコモンセンスペアレンティングの研修は本当に活かされたっていうかね。その日だけじゃなくて毎日学んでるってことですよね。

鈴木さん そうですね。自分の子はもちろんですけど、ショートステイやヘルパーとして私は働いてるんですが、その時幼児さんとかに接する時に、これを頭においてというか、思い出しながらやったらいいんだなって。その場になったら100%というかほんのちょっとでも思い出すようにしていけたらなと思いました。

古 家 私達も普通なかなか勉強して頭ではわかっているけど日常生活ってとっさなのでね。日常生活のコミュニケーションとかっていうのは。だから学んだことよりも、自分の持っているものが出てしまいますよね。

鈴木さん そうなんです。「あんた何やってんの?!」ていう突き放してるような言い方が、すごく突き放してた思いがあって、その通り子どもにぶつけてたので。自分がだったら思い切り傷ついてたなって今思いました。

古 家 日常生活だから自分自身も必死だから、子どもにね、つらい思いしてるって気が付きませんよね。

鈴木さん はい、全然気が付きませんでした。


支えられることと支えること


古 家 やっぱり、こんなふうに学ぶっていうこととそれから鈴木さんがヘルパーとして他の子達にもどんな風にしてあげたらいいだろうってことで一生懸命働いてるから。
 鈴木さん、今年何歳でしたっけ?

鈴木さん 55歳になります。

古 家 55歳になっても勉強して身につけようとする気持ちが強いから、これでいいではなく、向上心があるからそういうことにも身になって花開いたっていうかそういうことなんでしょうね。

鈴木さん 沢山の人がみんなで支えてるっていうか、いろんな人を、その中に居れるんだっていうことでね、なんかこれがずっとタケルとふたりきりの生活だったらもう真っ暗の中にいたんだろうなって思います。

古 家 そうなんですね。暮らしって、木戸さんも今日来てくれてるんだけど、お花を飾ったりみんなで見てもらって、喜んでもらったり、自分が支えてもらってる、お世話になってるだけじゃなくて自分も支えてる者の一員なんだ、っていま鈴木さんが話されたんだけど、それがなんかうれしいっていうか。だからどんなに障がいがあっても、例えば重心で身動き出来ない子でもその人がそこにいつもいてくれたらほっとするとかね、そういう存在感ていうのかな、それだけでも人に力を与えてると思います。

よく言いますよね、どんなに年とっても寝たきりになっても、親は生きてて欲しかったって。いろんなことができなくてもその人の存在そのものが誰かのためになってること。そういうことを今の鈴木さんのお話を聞いて、それが地域で暮らすことでもあり、私達が支えられたり支えたりというところで喜びを持って、特別大それたことをして有意義になるってことではなくてね、それが暮らしにとって大事なんだなって、今私も学ばされました。ありがとうございます。

次の曲は「翼をください」という曲ですが、この曲を鈴木さんたちがタケルくん達と仲間と一緒にみんなの前で歌ってくれました。そのビデオを札幌市議の篠田さんのこの「むぎのこにこにこラジオ」の一つ前の篠田さんの番組でビデオを見てもらったんですよね。みなさんに感動して頂きました。